〔『紫電改』:『紫電改展示館』:(愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城5688)にて〕

 

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2-3愛南町:美しすぎる海に包まれた歴史の足跡を訪ねて☆彡:2020.02.28

 

45年ぶりの四国の太平洋岸、

 

西端『足摺岬』と東端『室戸岬』を中心に

 

四泊五日(2/27-3/2)の黒潮香る

 

春の土佐路ひとり旅☆彡


高知県西端『宿毛』(すくも)のお宿から、

 

向かった先は、北隣の町

 

愛媛県最南端『愛南町』(あいなんちょう)へ☆彡

 

町域の大部分を占める山地がそのまま海に落ち込み

 

西は内海湾、南は宿毛湾に面する、

 

リアス式の複雑な海岸線を

 

コバルトブルーの海を楽しむ

 

海岸ドライブ^^v

 

『愛南町』は、その町名の通り、

 

九州とは『豊後水道』を挟んだ

 

四国・愛媛県最南端にある町☆彡

 

その美しすぎる地の

 

かつての戦争の事実を今に伝える

 

『高茂岬』(こうもみさき)と、

 

ゼロ戦に代わる新鋭機として終戦間近に開発され、

 

海軍のもっとも優れた戦闘機だったと言われて、

 

現存する日本で唯一機の『紫電改』や、

 

かつてのバブルの時代の忘れ物を

 

ご紹介いたします・・・^~^!

.                           .【つづく】


【愛南町:海岸ドライブ】

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【高茂岬展望所】(愛媛県南宇和郡愛南町高茂)

 

 

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【馬瀬山公園】(愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城)

【宇和海展望タワー】(運休中)

 

 

 

 

宇和海展望タワー(うわかいてんぼうタワー)は、愛媛県南宇和郡愛南町の建造物である。南予レクリエーション都市公園内に位置している。正式名称は第3号南予レクリエーション都市公園 宇和海展望タワー

南予レクリエーション都市の一環として1977年8月に愛媛県南宇和郡御荘町(当時)の馬瀬山公園にて完成した。

県などが出資する第三セクターとして、高さ110m、回転昇降式で、展望室に360度で御荘湾・宇和海のリアス式海岸・馬瀬山公園の光景が見える。

展望室はドーナツ形で、直径は約6.7m、高さは約6.5m、定員は65人で、営業時間は午前9時20分から午後4時40分までで、年末年始は除く。

2016年2月14日午後4時20分ごろ、回転昇降式展望室が、機器の異常により、100メートル地点で停止、午後6時50分ごろ乗客らを降ろした。客3人と男性乗務員がいたが、けがはなかった。3月8日に展望室のブレーキを動かす電気回路の故障が原因であることを発表、部品交換などの再発防止を講じ了解が得られた。3月9日に営業を再開。

2019年7月8日に巨大地震の耐震が満たないことから判明、9日から運航を休止する。再開のめどは立ってない。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%92%8C%E6%B5%B7%E5%B1%95%E6%9C%9B%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC

 

 

【御荘湾(みしょうわん)ロープウェイ】(廃止)

 

 

御荘湾ロープウェイ(みしょうわんロープウェイ)は、愛媛県南宇和郡愛南町の南予レクリエーション都市公園(南レク)御荘公園内にあったロープウェイ。1977年(昭和52年)開設。南レク株式会社が経営していた。

日本で唯一の海上を横切るロープウェイであったが、西海有料道路(愛媛県道320号船越平城線)の無料化に伴い、2006年3月31日限りで廃止。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E8%8D%98%E6%B9%BE%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4

 

【紫電改展示館】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紫電改(しでんかい)は、第二次世界大戦期における大日本帝国海軍の戦闘機である。紫電(N1K1-J)の二一型以降が紫電改と呼称される。この項では紫電改と紫電をまとめて紹介する。

局地戦闘機紫電は、水上戦闘機「強風」を陸上戦闘機化したもので、紫電二一型は強風と同じく中翼配置の紫電を低翼に再設計した機体であり、紫電改は新機軸の設計(自動空戦フラップ、層流翼)が特徴であった。

昭和19年4月7日内令兵第27号「航空機の名称」では「試製紫電改」は「試製紫電の機体改造及兵装強化せるもの」として定義づけられており、昭和20年4月11日海軍航空本部「海軍飛行機略符号一覧表」における二一型以降(紫電改)は、「試製紫電改(二一型)」「試製紫電改甲(二一型甲)」「試製紫電改一(三一型)」「試製紫電改二」「試製紫電改三(三一型)」「試製紫電改四」「試製紫電改五(二五型)」が該当する。

 

1978年(昭和53年)11月、愛媛県南宇和郡城辺町(現・南宇和郡愛南町)久良湾の海底で1機の紫電改が発見され、翌1979年7月に引き揚げられた。

1945年(昭和20年)7月24日に約200機のアメリカ軍を迎え撃つため343空の約20機が発進、豊後水道上空で会敵し戦闘となった。その戦闘による未帰還機6機のうちの1機で、戦闘301隊の所属機体とされる。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB%E9%9B%BB%E6%94%B9

 

【おまけ】