〔『春よ来い♪』:『曲碑』(高知県安芸市にて〕

 

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4高知県安芸市:多くの童謡を作曲した弘田 龍太郎が生まれ童謡の里を春探し:2020.03.01

 

高知県室戸市から、おはようございます♪

 

昨日(3/1)は、四国の太平洋岸の西端『足摺岬』から、

 

東端『室戸岬』へ^^v

 

あいにく、昼過ぎから雨降りになり

 

太平洋に沈む夕陽は見れませんでしたが

 

道中、多くの童謡を作曲した

 

弘田 龍太郎』(ひろた りゅうたろう)の生地

 

『安芸市』(あきし)の春探しを楽しみました(^^♪

 

                           .【つづく】


【高知県安芸市】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

索に移動弘田 龍太郎(ひろた りゅうたろう、1892年(明治25年)6月30日 - 1952年(昭和27年)11月17日)は、日本の作曲家。

弘田 龍太郎(ひろた りゅうたろう、1892年(明治25年)6月30日 - 1952年(昭和27年)11月17日)は、日本の作曲家 1892年(明治25年)高知県安芸市に生まれる。一絃琴の名手であった母親から、音楽的才能を受け継いだと言われている。

父の転任に従って3歳の時高知を離れ、千葉師範学校附属小学校、三重県立第一中学校(現:三重県立津高等学校)を経て、1910年(明治43年)東京音楽学校(現:東京芸術大学)器学部ピアノ科に入学する。東京音楽学校では本居長世に師事。在学中に歌曲『昼』を発表した。文部省唱歌の『鯉のぼり』は作者不詳とされてきたが、弘田龍太郎が在学中に作曲したものと言われている1914年(大正3年)に東京音楽学校を卒業して助手となるが、1917年(大正6年)に設置された作曲部に再入学した。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/弘田龍太郎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【室戸岬】