「水呑」石柱 | Mt.masaoのブログ

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行者堂から児墓金剛堂(稚児ガ墓)を経て黒岩に至る所謂「阿弥陀ガ峰」の途中に、安永9年(1780)奉納の「水呑」の石柱が立つ。陰刻は正面に「水呑」、右側面に「安永九子八月」、左側面に「龍門寺慧忍」とある。年号から

秋峰「五禅頂」の奉納物であることを物語っている。

何故、カラマツ林のど真ん中に、この石柱があるのか。答えは簡単明瞭、道標である。ただの道標ではない。この約60㍍西側に寄った西斜面に「宇賀神」

の石祠があり、それが日光修験「夏峯」及び「五禅頂」の拝所となっていたのだ。

夏峯の『補陀洛順峯入峰次第私記』には、「水ノミニテ後夜勤」とあり、秋の『禅頂先達秘密記』には、「水呑 本地十一面 法楽八葉投筒 後夜作法 同行加持螺立 次弥陀経 七印一明」とある。

ただし、この石祠は、夏峯の奉納ではなく、秋の五禅頂期のものである。

母屋正面に「山中 光永坊 □□卯六月日」とある。


肝心の水場、その約60㍍西側の谷にある。水量は豊富であり、四季を通じて

涸れない。


つまり、水呑石柱、宇賀神の石祠、水場は東西に直線的に三点セットで並んでいたのだ。往古、夏峯も五禅頂の修験僧たちは、ここで法施を行ったのだ。

現在も豊富な水量を有するこの水場は、登山者にとって、もっと認知されるべきところである。