ねこぢる再読 | リトル・プーリームのプラスティック・スリル・ブログ

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テレビの低級化に抗し、マジで音楽を憂い、予言蔓延する世に悩み、
焦り多き家庭に困り、後悔伴う仕事に苦しみ、レーザー的に精密な
日本語の駆使に迷う中年男の見込み違いとニガリきった日々のアレコレ。



再読っていっても、そんなにしっかり読み直そうというわけじゃあないんだけど、ね。

しかし、昔よく読んで、ガツンと、若く柔らかい心に衝撃を受け、カタルシスを味わっていた。


これ、
残虐な内容のメルヘンタッチの短編漫画ですけど。

あー、すごく残虐かも。

久しぶり、じつに、かなり久しぶりだな、と思いつつ、ぱらぱらめくると、確かによく死ぬ。
それも陰惨な死に方で。

話は単純で、
姉妹(きょうだい)が、ほんのちょっと関わりあう知人・友人、赤の他人が、次々に事故死する。

いや、「事故死」っていっても、主人公の姉妹の言動がきっかけなのだ。

いかにも危険な行為を「やってみたら」と促したりする、悪魔的なきょうだい。

だいじょうぶ、だいじょうぶ、危ないけど、やってみたら?

で、あっさり人が死ぬ。

あとは、たいして同情もせず、知らんぷりしてバタバタバタバタと遊びに出かけて終わる…

忙しい、忙しい、今日も遊ぶのに忙しいわー(という、フリ)。

……ことさらこのパターンの短編が多い。

わたし子供だから関係ない、責任無い、わたしわからない、忘れた、わたし子供だから、

という精神構造の主人公なのでしょうか?

今読むと、もう、あまり衝撃は来ない。
かつてのような、毒々しいカタルシスがない。

俺も歳をとった、ということだろう。
むしろ、このワンパターンを可能にする構造を読み解きたい。

そんな感想だけが、チラと脳裏をかすめた……