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no movie no life

・・・映画を見て思ったことをツラツラと。ネタバレです。

かなり昔に書いたのも。

12年前の熱狂、ふたたび。


これだけ話題になった映画は最近ないのではないか?と思う。これは設備の良いところで観たかったので、私が東京の映画館で一番キレイで立派だと思う「ユナイテッドシネマ豊洲」に行った。公開から1週間が経っているが混雑している。客層を見ると、小中学生もいる。12年前にライブで見てない人々をも取り込んでいることになる。かくいう私も、当時は時期が過ぎてからレンタルビデオで見たので、ちょっと悔しい思いをした。熱狂を直接肌で味わいたかった人々は多いと思う。


今回の最大の焦点は、やはり前回とどれ位違うのか?と言うことだろう。
完成してマスコミ等にお披露目したのが公開の3日前くらいで、ほとんど事前情報は封印されていた。結論を言えば、話の展開は変わらない。これは多分、「序」においては大筋で「変わらない」ことが重要だったのだと思う。納得のゆく変わり方と言うのは、過去を知るものにとっては難しいものだ。その点では皆満足してるんじゃないかな。映像は新しい。細かな部分で言えば、カットされたシーンもあるし、新たなシーンやセリフが挿入されている。12年前の作品を後で見ると、カットされたシーンやセリフが意味を持ってはずされたのだなとわかる。


まあ、私自身は案外忘れてたので、新鮮に見れたな。忘却って素晴らしい。また、今観て「ああ、そうか」と分かることもある。とにかくこの作品は解釈モノで、全てのシーンに意味がある。さらにこの度は4部作だから、次回2008年公開予定の「破」以降は何が起こるかわからない。


しかし本編以外の部分では、ギリギリ公開日に間に合ったのかな?と言う感じ。パンフも内容に関しては中身がない。オープニングも、いつもだと主題歌とあいまって凝ったつくりになっているが、今回は黒字に白文字で書いてあるだけ。エンドロールも宇多田ヒカルの「beautiful world」の歌に乗せてるのみ。それでも、彼女の曲は碇シンジのイメージに合ってくるから不思議。こういう作品の主題歌って責任重大だから怖いけど、さすがだ。サントラは相変わらずオーケストラ音楽の重厚なつくり。


しかし・・・12年前のアニメが変わらない内容で再登場して、これほどまでにファンの熱狂に包まれながらある程度の満足度を得ている映画も稀有だろう。


TVと変わらない予告編が懐かしい。最後までお見逃しなく。


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美しさは、そこにあるもの。そして、見つけるもの―


「世界はときどき美しい」。フランスの詩人ジャック・プレヴェールの言葉からタイトルを取った、「シネポエム」5つの連作。トータルでも70分という短い時間の中にも、ふとした日常の美しさにはっと気づかされる。まさに「詩」だ。


例えば、名前。
好きな人が呼んでくれる自分の名前は、それだけで愛おしくなる。普通の名前が、特別な名前になる瞬間。


例えば、モデル。
客体でありながら、画家に絵を描かせているのは実はモデルの力だったりする。絵画は、音楽は、映画は、物語は、何のために作られる?きっと一つひとつにドラマがあるのだ。


「奇跡は、奇跡と感じなければ奇跡じゃない。」
美がそこにあっても、美を感じる心がなければ美に気づかないのと同じように。
誰にも気づかれていない、自分だけの愛しさを探したくなる。


・・・しかし、松田龍平ってキレイだなあ。


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世界はときどき美しい
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ものすごくぶっ飛んだ映画だなあと思っていたが、案外「レオン」系かもしれない。


子どもの時に性的虐待を受け、セックス依存症となったレイ(クリスティーナ・リッチ)は、大怪我をして道に倒れていたところを黒人の元ブルース・シンガーのラザラス(サミュエル・L・ジャクソン)に拾われる。ラザロスはレイを更正させようと鎖につなぐという暴挙に出るが・・・


ポイントになるのは鎖とキリスト教とブルース。
鎖は物理的にも精神的にもレイとラザロスの結びつきを表す。一歩間違えれば虐待だが、愛情と束縛は紙一重なのだ。
見返りを求める「愛情」しか経験したことがなかったレイはラザロスの無償の愛情に心を開いてゆく。
そしてブルース、音楽。ホント、音楽ってのは不思議な力を持っていると思う。時には癒しであり、時には高揚であり、時には慰めである。


クリスティーナ・リッチは、彼女じゃなければできないだろうなと思えるほど凄みがある。痣だらけ、鼻血でまみれた顔、セックス依存症(そんなのあるのか?)の役柄というのは、なかなか普通の女優ではできないところだろう。


設定は突飛だけれど、レイとラザロスの強い結びつきに心温まるラストで、とりあえずは着地成功というところかな。

国民皆保険を実現せよ!


マイケル・ムーア監督の最新作、今度は医療問題。


まずもってアメリカの医療保険がこんなにひどい状態とは思いもしなかった・・・。よく「ER」などで、保険に入ってないから治療を受けられないというシーンを目にしたが、それってごく少数だと思ってた。さらにヒラリーさんが国民皆保険制度の創設を訴えていたのも知っていたが、これほどとは!悲しいのはアメリカ国民がおかしな実態をおかしいと認識していないこと。ムーア監督もまた然り。監督の驚きはまさに国民の驚きで、そこにメスを入れてゆくわけだ。


映画の作りはとても丁寧。一般国民からHPで医療保険に対する意見を募集したとのことで、それがこの映画のスタンスを物語っている。そしてテンポよく、ブラックユーモアをちりばめながらもわかりやすく見れる。最大のブラックはグアンタナモの収容者のほうがアメリカ国民よりすばらしい医療をタダで受けられるというところだろう。アメリカの医療技術は高いんでしょうけれど、それが国民の利益になっていないことが悲しい。


しかし、なぜアメリカの医療制度はこれほどまでにSICKO(病的)なのか?
そもそもの諸悪の根源は医療保険に営利目的、競争原理を導入してるところだと思う。公的な立場がやはり必要なのだ。しかも医療保険会社は、加入者を恐れてなどいない。保険を支払うほうが圧倒的に強者なのだ。
その結果、保険会社で働く人間も、医療に携わる人間も、医療を受ける側の人間も、幸せではない。患者にいたっては、金額で治療か否かを決定しなければならないし、ストップがかかれば姥捨て山のように捨てられる。人間として医療を受けるというよりは、まるで車の修理を見ているようだ。

イギリスやフランスでは医療保険は国がきちんと整えているという。その根本には、国民の安心は国が守るという概念と、そこをおろそかにすれば国民が納得しないという基本的な考え方が存在するようだ。
不思議なのは、なぜアメリカがそれを持っていないかということなのだが、イギリスやフランスのような、時の権力者が民衆の革命やクーデターによって転覆させられる歴史を持たないからではないか?と思う。独立戦争や南北戦争はあるけれど、結局は征服した側の人間がずっと権力を握ってきたからではないかと。戦争でも負けたことがないし。どこか民衆を畏怖する精神の欠如を感じさせるのだ。


しかし・・・映画で疑問に思うのは、フランスの医療はほんとにタダなのかということ。もしそうだとしたら税金や保険料はバカ高いものになっているだろう。劇中、キューバに行ってアメリカ人が治療を受けるシーンがあるが、それだってキューバ国民の税金が使われているはず。
日本も昔の老人保健制度では医療は無料を掲げていたが、それにより、たいしたことなくても医者に行くという、コスト意識が欠如した医療機関のサロン化を生み出してしまった。この場合の「無料」というのは、そもそもコストがかかっていないんではなくて、誰かがそれを肩代わりしているということだ。しかし、それに気づきにくいという事実があるのだ。無料というのはそれだけ慎重でなければならない。結局、現在の医療費は年々増加しつづけ、国民健康保険に見るように、財政は火の車だ。国民の一部負担も高くならざるを得ない。
しかしながら、日本の国民皆保険、特に国保は最後のセーフティネットであり、これはすばらしい概念だ。日本の医療保険も、軽易なものは保険適用外にするという動きも出ているが、私は反対。やはりどこにいても国民が安心して医療を受けられるようにするためには、この制度の堅持は絶対必要だと思う。


社会保障のありようは、国が国民をどのように見ているかということを表す鏡だ。
とにかく、アメリカでの国民皆保険が早く整えられることを願う。