Vフォー・ヴェンデッタ(06・米) | no movie no life

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・・・映画を見て思ったことをツラツラと。ネタバレです。

かなり昔に書いたのも。

ヴは「あ行」なのか「は行」なのか?と迷ったが「ヴァージン・スーサイズ」を「は行」にしてたので、とりあえずそっちに入れておく。




最終日の最終回に見てきました・・・滑り込みセーフと言ったところですね。


近未来のイギリス、アメリカ合衆国は植民地と化し、イギリスには独裁国家が誕生していた。人と違うことが罪になる・・・そんな抑圧された社会の中で、イヴィー(ナタリー・ポートマン)は「V」と名乗る書仮面の男と出会い、その後政府に追われる身となってしまう。革命を語る「V」とは何者なのか・・・


キャッチは「マトリックス3部作クリエイターによる衝撃の宣戦布告」。




1605115日、ガイ・フォークスはエリザベス1世の死後即位したジェームズ国王による圧制に抗議すべく、国会議事堂を爆破しようと企むが事前に捉えられ、処刑されてしまう(史実)。イギリスでは今でも115日には花火をあげるという。




そして現在。


イギリスにはナチス・ヒトラー政権そっくりの「サトラー政権」による独裁政治が敷かれていた(そのネーミングもどうかと思うが・・・)。皆がおかしいと思いながら逆らえなかった抑圧。流される報道は政府の検閲を受け、果たして事実かどうかは分からない。抗議活動家や同性愛者など、異端とされた人々は処刑されるか、収容所に送られ、殺されていく。過去の芸術作品や音楽、書物が全て「教化」として没収される・・・そして革命。


つまり、これは過去に人間の歴史の中で繰り返されたことがそのままなんですよね。




新しいことではない。


しかし、奇怪な印象を与えてるのは要するにあのへんてこな「仮面」なのだ。(「スクリーム」の仮面と似てるような気も・・・)ガイ・フォークスの顔をかたどったお面というが、これを常に「V」が被ってるわけなのですね。革命のシンボルなのかもしれないが奇怪すぎる。


また、現在と、20年前の出来事と、1605年の出来事を絡ませる事によって観るものにまた混乱を与えている。特に20年前の出来事がはっきりと語られていないだけに、観ているものからすればもどかしさも残る。それは、最後まで仮面がはがされなかったせいもあるかもしれない。「V」がタダ復讐のためではなく国家の転覆をも狙っていた事も複雑さの要因の一つだ。




一つのキスが怪人の心を溶かした「オペラ座の怪人」。しかし、この作品では、仮面越しのキスで「V」が変わることはなく、結局は彼の思うとおりになっただけだ。果たして彼はイヴィーに出会ったことによってホントに変わったのかな・・・何も変わってないような気もするなあ。彼は死んだが、イメージのとおりに国会議事堂はチャイコフスキーの音楽とともに爆破され、ビッグ・ベンもろとも崩壊、花火が夜空を彩る。そして、真実を追い続けた警視だけが、20年前からの出来事を全て知るたった一人の生き証人として残される。




つまり、なんかこの映画観てると他の映画を思い出すんですよねえ。「マトリックス」はもちろんですが、「スクリーム」や「オペラ座の怪人」やら。新しい!っていう感じはしないんですよねえ。


しかもサトラー議長との会議シーンなんかは、「エヴァンゲリオンぽいなあ」と思って観てたのですが。




しかし、冒頭「第3次世界大戦によりアメリカが植民地化され・・・」と言う言葉に多少驚きつつ観ていた。いや、アメリカがそんな風になるなんてことを想像すらしていない自分に驚いたとも言うべきか。




最後に疑問。剃髪されたイヴィーが、解放後もその髪形を維持していたのは何故なんだろう。自分が変わったと言う証のためなのかなあ・・・?