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前書き:夜の水商売を全く知らなかった30歳の女が
夜の道に入り、勤め始めて2年経たない頃
お店を出そうと決意しますが ちょうどその頃
夫婦喧嘩をして子供を残したまま家を飛び出し
お店を出しましたが・・・
ある日、長男から電話があり
私のもとへと来て生活するようになりました。
その後、何事もなく順調に生活していたのですが
その息子がB型肝炎になってしまい。
命も危ないと病院の先生に言われ・・・
~~~女の生きた道~~~
第25話 <良き出会い と 悪病の闘い(後編)>
病院側から命がかなり危険とまで言われ
どうする事もできず
どうか息子を助けて下さい・・・と
病院の先生と神様に
すがるだけしかできない私でした。
集中治療室では、血小板の交換の
人工透析をして・・・
胸のあたりに管が通され
点滴をしている息子がベッドの上で
横になっています。
何度も顔を見るたびに
なんで・・・ なんで・・・ とそればかりで
B型肝炎になった原因も不明だったので
誰にあたる事もできず
ただ息子を見つめている事しかできません。
やりきれない思いでいっぱいでしたが
お店を休まず営業すると決め
二日間は、従業員に任せて休みましたが
後は、遅刻しながらもお店に行きました。
水商売は明るい商売・ ・ ・
今の自分は明るくできない状況・ ・ ・
それでもプライドを持って仕事をしていたので
プロ意識を持ち
笑顔でお客さんを接待しました。
お客さんは私の状況を知る人が
いませんでしたから
いつものように明るくして飲んでいて・・・
従業員は状況が分かるので
「ママ大丈夫ですか?」と
陰で言ってくれて心配してましたが
そう言われてしまうと
余計に明るくしなくては・・・
という気持ちになり・・・
結構それがきつくて・ ・ ・
それでも息子に何もできない私は
今できる事を一生懸命やる事が大切と
自分に言い聞かせ
お店が終わるとまっすぐ病院に行き
病院と お店の行ったり来たりでした。
集中治療室での治療が始まり
血小板の交換や人工透析の他に
インターフェロンの投与も始まり
数日経って、病院の先生から
「とりあえず命は大丈夫です。
これからのインターフェロンの治療で
良くなればいいのですが
まだ安心は、できません・ ・ ・」と言われ
徐々に良くなり
集中治療室からも出れて個室に入る事が
出来るようになりました。
個室に入ってからも相変わらず
病院とお店の行ったり来たりで
毎日、夕方になると
息子の病室で化粧をしてお店に行き
お店が終わると2時3時に病院に戻り
病室のソファーで寝て
お酒臭い時もありましたが
看護婦さん達も私の職種を知っていたので
何も言わずにいてくれました。
そうやって治療を続け
1ヶ月半ぐらいで退院は、できましたが
食事制限は、もちろん
学校に行く事は、いいが運動は禁止
インターフェロンの注射を打ちに
病院に週2~3度通いました。
入院した時点で高校の先生に
病気の説明は、していましたが
野球で期待されてただけに
先生は残念がっていましたが
本人は運動を禁止されたのを気にして
学校に行っても張り合いがないというか・・・
周りの生徒たちは元気に部活をしているのに
自分が出来ない・・・遅れをとる・・・
と、かなり気にしていました。
病院から早く運動できるようになっても
軽い運動ができるのが来年の頭(約半年後)
と言われていたので
運動は、一切していませんでしたが
学校に行っても肝臓に負担がかかるのか
早退も多々ありました。
「治ってから頑張って野球やればいい」
と私が息子に言った事があったのですが
息子に
「半年後運動出来ても軽い運動しか
できないんでしょ
半年間みんなは部活の練習してるのに
その分の遅れを取り戻すのは不可能だよ
筋肉もこんなに落ちて
どうやっても間に合わない・ ・ ・ 」
と言われた時には、かなり反省しました。
小学生からリトルリーグをやり
中学でも軟球ですが野球をやり
野球で高校に入って硬球に戻って
さぁ これから、という時に
こんな病気になってしまったのですから
今しかない高校生活なのに
治ってからやればいいなんて・ ・ ・
本人には、かなり辛い言葉だったに
違いありません。
食事の制限があり
食べれる物は、油は一切駄目で
お肉もほとんど食べれず
魚は決まって煮魚
本来なら食べ盛りの時期なのですが
病気のせいか食欲もなく
退院後は毎日そんな生活で
退院してから毎回通院して
インターフェロンの注射を打っていましたが
病院の先生に
「お母さんが打てば
通院も1ヶ月に1度ですみますから
お母さん、注射打ってみましょう」
と言われ
自分の子供に針を刺すなんて・・・
とは思ったものの・・・
先生の言われた通りに打ち
インターフェロンの注射を数回分もらい
「何か分からない事がありましたら
病院に電話してください」
と看護婦さんに言われ 家に帰りました。
家に帰ってから始めて注射を打った時は
本当にビビりました。
「よ~し!ママ頑張って打つからね~」
と 息子に言うと
「打ち間違えんじゃねーぞ
間違ったら許さねー」
と 息子に言われ
言われた通りに針を上に向けて空気を抜き
息子の腕を消毒して
いざ 打ってみると・ ・ ・
薬が上手に入らず
皮膚がプクっと腫れてしまい・ ・ ・
ビビった私は怖くて針を抜いてしまって
その瞬間、息子に
「うわっ!!!お母~俺の事殺す気か~
もういい、病院で打ったほうがましだし
もう お母になんか打たせねーーー」
とか言われてしまって
薬が半分も残っていたので
「本当にごめん!
薬、残ってるから
お願い!残り打たせて」
といった感じで騒いで打っていました。
ある時なんかは
注射の空気が全然抜けなくて
焦った私は病院に電話すると
「息子さんに横になってもらって
注射を逆さまにすれば
空気が上にいくので
そうやって打ってみてください」
と看護婦さんに言われ
寝せて打つのがとてもやりずらくて
不安な顔して打とうとしたら
息子に
「失敗したら ぶっ殺す」なんて
プレッシャーをかけられて
またまたビビって打った事もありました。
そんなこんなで治療を続け
半年過ぎ後に血液検査をすると
陽性が陰性に変わり(本当、運がいいです)
その後、運動は、しばらくできませんでしたが
普通に学校生活を送りました。
※今後の第何話かにまた息子がこのお話に
登場します。お店のボーイとして・・・www
そうやって治療をしてる間に
以前、お店の移転を予定してた私は
この治療中に思い切って移転を決意します。
病院の入院費が100万円以上かかり
インターフェロンの注射の金額は
保険がきかないので月に最低8万は、かかり
とお金のかかる時期に
移転を決意し移転しました。
次回はその時のお話を語りたいと思います。
次回~~~女の生きた道~~~
第26話 <お店の移転>
色々ある中、お店の移転を決意し
移転を実行します。
今、思うと当時は本当に体力が
あったと つくづく思います。
やる時期にやらなければ
できなくなる という思いや
息子の治療費も私の
やる気の源というのもありました。
話は変わりますが
実は今日、娘の結婚式なんです。
(今日、登場した息子の妹です)
私と一緒で結婚が早く
娘に子供が2人いるので
マミチュチュは、おばあちゃんなんです。w。
正確に言えば息子も結婚してるので
3人のおばあちゃんですが(私、今39歳)
息子も娘も 今後のこのお話を
読んでもらえば分かりますが
結婚のきっかけが
なんと! 私のお店なんです。
(今後お楽しみに♪)
いつも読んでいただき
本当にありがとうございます。
これからも宜しくお願いいたします。
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