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~~~女の生きた道~~~第1話・第2話・・・続く・・・

水商売を全く知らないある1人の女が水商売に入り30代を水商売で生きた
実話を語ります☆ 
ゆくゆくお店をだしますが水商売を通して様々な経験をし、それまで出会った人達や たくさんの経験をもとに「人」の大切さを伝えていきたい!と言った内容でもあります。

  ☆読者、アメンバー募集中~☆


前書き:夜の水商売を全く知らなかった30歳の女が

     夜の道に入り、勤め始めて2年経たない頃

     お店を出そうと決意しますが ちょうどその頃

     夫婦喧嘩をして子供を残したまま家を飛び出し

     お店を出しましたが・・・

     ある日、長男から電話があり

     私のもとへと来て生活するようになりました。

     その後、何事もなく順調に生活していたのですが

     その息子がB型肝炎になってしまい。

     命も危ないと病院の先生に言われ・・・



  ~~~女の生きた道~~~

 第25話 <良き出会い と 悪病の闘い(後編)>


病院側から命がかなり危険とまで言われ

どうする事もできず

どうか息子を助けて下さい・・・と

病院の先生と神様に

すがるだけしかできない私でした。


集中治療室では、血小板の交換の

人工透析をして・・・

胸のあたりに管が通され

点滴をしている息子がベッドの上で

横になっています。


何度も顔を見るたびに

なんで・・・ なんで・・・ とそればかりで

B型肝炎になった原因も不明だったので

誰にあたる事もできず

ただ息子を見つめている事しかできません。


やりきれない思いでいっぱいでしたが

お店を休まず営業すると決め

二日間は、従業員に任せて休みましたが

後は、遅刻しながらもお店に行きました。


水商売は明るい商売・ ・ ・

今の自分は明るくできない状況・ ・ ・

それでもプライドを持って仕事をしていたので

プロ意識を持ち 

笑顔でお客さんを接待しました。


お客さんは私の状況を知る人が

いませんでしたから

いつものように明るくして飲んでいて・・・


従業員は状況が分かるので

「ママ大丈夫ですか?」と

陰で言ってくれて心配してましたが


そう言われてしまうと

余計に明るくしなくては・・・

という気持ちになり・・・

結構それがきつくて・ ・ ・


それでも息子に何もできない私は

今できる事を一生懸命やる事が大切と

自分に言い聞かせ

お店が終わるとまっすぐ病院に行き

病院と お店の行ったり来たりでした。


集中治療室での治療が始まり

血小板の交換や人工透析の他に

インターフェロンの投与も始まり


数日経って、病院の先生から

「とりあえず命は大丈夫です。

 これからのインターフェロンの治療で

 良くなればいいのですが

 まだ安心は、できません・ ・ ・」と言われ


徐々に良くなり

集中治療室からも出れて個室に入る事が

出来るようになりました。


個室に入ってからも相変わらず

病院とお店の行ったり来たりで

毎日、夕方になると

息子の病室で化粧をしてお店に行き


お店が終わると2時3時に病院に戻り

病室のソファーで寝て


お酒臭い時もありましたが

看護婦さん達も私の職種を知っていたので

何も言わずにいてくれました。


そうやって治療を続け

1ヶ月半ぐらいで退院は、できましたが

食事制限は、もちろん

学校に行く事は、いいが運動は禁止

インターフェロンの注射を打ちに

病院に週2~3度通いました。


入院した時点で高校の先生に

病気の説明は、していましたが

野球で期待されてただけに

先生は残念がっていましたが


本人は運動を禁止されたのを気にして

学校に行っても張り合いがないというか・・・


周りの生徒たちは元気に部活をしているのに

自分が出来ない・・・遅れをとる・・・

と、かなり気にしていました。


病院から早く運動できるようになっても

軽い運動ができるのが来年の頭(約半年後)

と言われていたので

運動は、一切していませんでしたが


学校に行っても肝臓に負担がかかるのか

早退も多々ありました。


「治ってから頑張って野球やればいい」

と私が息子に言った事があったのですが


息子に

「半年後運動出来ても軽い運動しか

 できないんでしょ

 半年間みんなは部活の練習してるのに

 その分の遅れを取り戻すのは不可能だよ

 筋肉もこんなに落ちて

 どうやっても間に合わない・ ・ ・ 」

と言われた時には、かなり反省しました。


小学生からリトルリーグをやり

中学でも軟球ですが野球をやり

野球で高校に入って硬球に戻って

さぁ これから、という時に

こんな病気になってしまったのですから


今しかない高校生活なのに

治ってからやればいいなんて・ ・ ・

本人には、かなり辛い言葉だったに

違いありません。


食事の制限があり

食べれる物は、油は一切駄目で

お肉もほとんど食べれず

魚は決まって煮魚


本来なら食べ盛りの時期なのですが

病気のせいか食欲もなく

退院後は毎日そんな生活で


退院してから毎回通院して

インターフェロンの注射を打っていましたが


病院の先生に

「お母さんが打てば

 通院も1ヶ月に1度ですみますから

 お母さん、注射打ってみましょう」

と言われ


自分の子供に針を刺すなんて・・・

とは思ったものの・・・


先生の言われた通りに打ち

インターフェロンの注射を数回分もらい

「何か分からない事がありましたら

        病院に電話してください」

と看護婦さんに言われ 家に帰りました。


家に帰ってから始めて注射を打った時は

本当にビビりました。


「よ~し!ママ頑張って打つからね~」

と 息子に言うと


「打ち間違えんじゃねーぞ

           間違ったら許さねー」

と 息子に言われ


言われた通りに針を上に向けて空気を抜き

息子の腕を消毒して

いざ 打ってみると・ ・ ・ 

 

薬が上手に入らず 

皮膚がプクっと腫れてしまい・ ・ ・

ビビった私は怖くて針を抜いてしまって


その瞬間、息子に

「うわっ!!!お母~俺の事殺す気か~

 もういい、病院で打ったほうがましだし

 もう お母になんか打たせねーーー」

とか言われてしまって


薬が半分も残っていたので

「本当にごめん!

 薬、残ってるから

 お願い!残り打たせて」

といった感じで騒いで打っていました。


ある時なんかは

注射の空気が全然抜けなくて

焦った私は病院に電話すると

息子さんに横になってもらって

 注射を逆さまにすれば

 空気が上にいくので

 そうやって打ってみてください」

と看護婦さんに言われ


寝せて打つのがとてもやりずらくて

不安な顔して打とうとしたら


息子に

「失敗したら ぶっ殺す」なんて

プレッシャーをかけられて

またまたビビって打った事もありました。


そんなこんなで治療を続け

半年過ぎ後に血液検査をすると

陽性が陰性に変わり(本当、運がいいです)


その後、運動は、しばらくできませんでしたが

普通に学校生活を送りました。

 ※今後の第何話かにまた息子がこのお話に

   登場します。お店のボーイとして・・・www


そうやって治療をしてる間に

以前、お店の移転を予定してた私は

この治療中に思い切って移転を決意します。


病院の入院費が100万円以上かかり

インターフェロンの注射の金額は

保険がきかないので月に最低8万は、かかり

とお金のかかる時期に

移転を決意し移転しました。


次回はその時のお話を語りたいと思います。



次回~~~女の生きた道~~~

   第26話 <お店の移転>



 色々ある中、お店の移転を決意し

 移転を実行します。

 今、思うと当時は本当に体力が

 あったと つくづく思います。


 やる時期にやらなければ 

 できなくなる という思いや

 息子の治療費も私の

 やる気の源というのもありました。


 話は変わりますが

 実は今日、娘の結婚式なんです。

 (今日、登場した息子の妹です)


 私と一緒で結婚が早く

 娘に子供が2人いるので

 マミチュチュは、おばあちゃんなんです。w。

 正確に言えば息子も結婚してるので

 3人のおばあちゃんですが(私、今39歳)


 息子も娘も 今後のこのお話を

 読んでもらえば分かりますが


 結婚のきっかけが

 なんと! 私のお店なんです。

 (今後お楽しみに♪)


 いつも読んでいただき

 本当にありがとうございます。


 これからも宜しくお願いいたします。

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前書き:水商売を全く知らなかった一人の女が

     30歳で水商売に勤め始め

     勤めて2年経たない頃

     お店を出す決意をしたと同時に

     夫婦仲が良くなかった私は・・・

     家を飛び出してしまいました。

     3人の子供を残したまま・ ・ ・ 

     色々な人達に出会い

     色々な事がたくさん起きましたが

     長男からの1本の電話があり

     私の所に来る事になったのですが・ ・ ・





  ~~~女の生きた道~~~

 第24話 <良き再会 と 悪病の闘い(前編)>



外の風が冷たく 肌寒いある日の事です。

長男から1本の電話がありました。



「どうした?」と聞くと

「もう お父とは一緒にいたくない・ ・ ・ 

      お母の所に行っていい?・ ・ ・」

と涙ぐんだ声でした。



何かあったに違いないのは

分かっていましたが

その事には、触れず

「じゃあ、学校終わる頃に

        迎えに行くから」

と言って 学校まで迎えに生きました。



迎えに行くと

重そうなカバンを持った息子が立っていて

カバンの中には学校に必要な物や

教科書などが、全部入っていました。



車に乗せてから事情を聞くと

「殴られたり蹴られたりで

       耐えられない・ ・ ・」

と言っていて



1年ぐらい一緒に暮らしてなかった私は

とにかく この子を守らなきゃ

という一心で父親に電話を入れ



「なんで叩いたりしなきゃいけないの?

 そういう人には、もう任せられない!」

と言って



駄目だ! とか 連れて帰って来い!

とか言われましたが

そのまま連れて行かず

私の所にいさせました。



昔から、父親は息子だけには敏感で

ちょっとした事ですぐ

殴ったりで・ ・ ・



娘2人も連れて来たかったのですが

娘達まで連れてきてしまうと

当時の状況から

父親が何を仕出かすか分からず

怖いというのもあって

連れては来れませんでした。



その後、私の実家で息子は生活し

高校受験の時期でしたが

野球の推薦で入れたので

何も悩まず 高校入学しました。



高校入学して野球部に入部し

色気も出たのか彼女もでき



一年生でしたが 翌年のピッチャーとして

先生にも期待され

何事もスムーズに進んでいました。



高校入学して何事も順調でしたが

一年の夏の事です。



息子が部活をやっていて運動をすると

胃のあたりが気持ち悪い・・・

と言っていて



小さい頃から考え事をすると

吐いたりしてた事があったので

只の神経性胃炎だと思い

様子を見ていました。



二~三日経っても治らなく

顔色も良くなかったので

胃薬もらって飲めば治ると思い

病院に行きました。



診察が終わると

胃潰瘍の疑いがあるから

検査入院しましょうと言われ



すぐ入院だったので

私は看護婦さんに

入院の準備の買い物に行くと言い

買い物に出ました。



買い物をするお店に着いてすぐの事です。

病院から携帯に電話があり

電話に出てみると

「お母さん、すぐに病院に戻って来て下さい」

と言われて



買い物もしてないまま

すぐに病院に行きました。



病院に着くと看護婦さんに

「先生からお話があります」と 言われ



先生の所に行くと

「お母さん、落ち着いて聞いて下さい

 息子さんは、今、集中治療室に入れました。

 B型肝炎にかかってて

 血液中の数値が多く

 今、危険な状態です。

 今は意識がありますが

 すぐに もうろうとして

 意識が遠のくみたいな状態になります。

 すぐに血小板の交換と輸血をします」

と言われ・ ・ ・



いきなりそんな・・・ 予想もしない・・・

しかも・・・ 危ないって・・・ と

何が何だかわからなく



声にもならない声で

「危ない状態って命が危ないんですか?」

と先生に聞くと



「かなり危険です。

 血小板の交換と輸血をしても

 助からないかもしれません

とか言われて・ ・ ・



私は、もうどうしたらいいか

訳がわからなく 泣きながら

「お願いです。息子を助けて下さい。

 お願いします。お願いします・・・・」

と先生に何度も言いました。



先生は

「やれるだけの事は、やりますから・・・」

と言うと席を離れ



集中治療室には

キャップとかかっぽう着みたいのを着て

靴を変えれば入れると

看護婦さんに言われましたが



泣いた顔を息子に見られるが嫌で

というか・・悟られるのが嫌で・・・

すぐには集中治療室に入る事は

出来ませんでした。



命が危ないと言われ

母親に電話して

この子の父親にも電話をしました。



電話をした時には

泣いて言葉にならなくて

何度も繰り返して

言葉にしようと思っても

上手に話ができなくて・・・



母親には

「落ち着きなさい」よ言われ

この子の父親には

「何しゃべってんだかわからねー

 母親なんだからシッカリしろ!」

と言われ



どちらも声がヒクヒクしてしまい

話すのがやっとでした。



数時間経つと

私の両親やこの子の父親が来て

先生に

「家族の中でB型肝炎は、いますか?」

と聞かれましたが



B型肝炎になっている人は周りに誰も居なく

先生に

「なんでB型肝炎になったんですか?」

と聞くと 感染でなるらしく



家族に感染者は、いないし

感染経路も全く分からないままで

今だに分からない謎のままです。



その後

集中治療室での治療が始まり・・・





次回~~~女の生きた道~~~

 第25話 <良き再会 と 悪病の闘い(後編)>





 その後も色々と大変でした。

 次回お話します。



 人は、いつ

     何処で

      何があるか

         分かりません。



 もう二度とこんな経験は嫌です。



 ただ、そういう局面に立たされた時は

 逃げてるのでは、なく

 真正面から立ち向かわなければ

 負けてしまいます。



 負けない為にも

 自分に強くならなければいけないので

 精神的には大変ですが

 大変なんて言っている余裕なんか

 ありません。



 私(マミチュチュ)の30代は

 ほとんどが水商売生活で

 その30代が本当に色々ありすぎて



 色々あったけど

 今の自分が ここ に居るから

 今、こうやって

 30代の大切な思い出を

 書き綴っています。



 たくさんの人達に

 人の大切さや

 こうやって生きてきた人間がいる

 という事を伝えたくて・ ・ ・



 30代の締めとして(今39歳です)

 30代の最後はブログにしっかりと

 自分の生きてきた事を綴ります。



 いつも読んでいただき

 本当にありがとうございます。



 これからも宜しくお願いいたします。

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