~~~女の生きた道~~~第1話・第2話・・・続く・・・ -3ページ目
前書き:水商売を30歳から始めて
自分のお店を持ち
小さいお店から広いお店へと移転し
色々な出来事がありましたが
お店は、毎日休まずに営業しました。
お酒は、毎日飲んでいましたが
飲み方は、人それぞれで色んな飲み方があり
水割りが、だいたいでしたが
変わった飲み方もありました。
そんなお話を今回、語りたいと思います。
~~~女の生きた道~~~
第32話 <貴方は何割り?>
お酒とは、不思議なもので
何故、飲むと酔うんでしょうね・・・
色んなお客さんを見てきましたが
それぞれ色んな飲み方がありました。
ある日、お客さんが来て
いつも飲んでる焼酎を出し
「水割りで宜しいですか?」と
お客さんに聞きました。
すると一緒に来たお客さんが
「おすわりで お願いします」と言い
私は冗談だと思って
「座ってますよ~w」と言うと
「座るのでは、なく おす割りで飲みたいの」
とお客さんに言われ
また ふざけていると思い
「また 御冗談を~w」と言うと
「お酢で割るの」と
お客さんに言われ
驚いた事がありました。
酢で割るのは聞いた事もなかったので
どんな味になるか
かなり興味がありましたが
お客さんにお酢の分量を聞いて
お酢割りを作って出しました。
見ていると普通に飲んでおり
どんな味か興味もあったので
飲んでみたのですが
飲んでみると
焼酎の味が全然しないで
本当のお酢の味だけでした。
その後、お店の中の女の子達で
お酢割りが流行って
常にお酢割りを飲んでた時期がありました。
また違うお客さんは
ウイスキーを飲むのですが
良くウイスキーの炭酸割りの
ハイボールで飲んでいて
たまたま炭酸がきれてしまい
お客さんと女の子で話をして
サイダーで割ったら どんな味になるのかな?
という話になり
割ってみよう!と言って
ウイスキーのサイダー割りをしたのですが
それがまた ジュースみたいに美味しくて
(女性にお薦めです☆)
飲み口がいいので飲み過ぎてしまい
かなり酔った事もありました。
日本酒を飲むのに
良くライムで割る飲み方がありますが
日本酒をジンジャ―エルで割ると
とても飲みやすくて
日本酒だけに かなり効いて
それで酔った時には後から効くので
大変な思いをした事がありましたが
お客さんにその飲み方を教えると
これ彼女に飲ませたいと言って
彼女をお店に連れて来て
酔わせた事もあったりで
日本酒のジンジャーエル割りも
一時期、流行りました。
女の子も良く飲みに来ていましたが
ある女の子のお客さんは
いつも生ビールのコーラ割りが好きで
飲んでいましたが
割り方は1対1で割り
飲ませてもらいましたが
私は、あまり好きじゃありませんでしたw。
ビールのジンジャ―エル割りや
ビールのトマトジュース割りは
良くありますが
コーラ割りって・・・
その女の子は何杯も飲んでました。
甲類の焼酎はアセロラで割ったり
ブラックコーヒーで割ったり
ウーロン茶割りに
レモン、ライムと
ジュース類で割っても何でも合いましたが
乙類の焼酎(芋、麦)は水割かロックで
色々なもので割る事は少なかったです。
少なかったですが
麦焼酎をきゅうり割りで飲むお客さんがいて
麦焼酎の水割りにきゅうりの千切りを入れて
飲む飲み方は結構好きでした。
きゅうりの香りと
きゅうりの甘味が以外と出て
美味しいんです。
まっ、どれもこれも
美味しいからと言って
飲み過ぎるともちろん酔っ払い~に
なってしまいますが
いつも みんなで酔っ払い~でしたw。
いつもバーに飲みに行ってるお客さんが
たまに私のお店に来ていましたが
そのお客さんは、
バーボンをいつもロックでした。
1杯目は、そのままロックなのですが
2杯目の分は別なロックグラスに
アイスだけを入れておいて
1杯目を飲み終わると
先にアイスを入れてたグラスに
バーボンを注ぎ飲んでいました。
そうする事によって
バーボンが、まろやかになるそうです。
良くお店でゲームをして
一気飲み~なんてやってましたが
罰ゲームで
生ビールの焼酎割りをした事があり
さすがに かなり効きました。
無茶飲みは危険ですねw。
そんなこんなで
色んな飲み方をしましたが
貴方は何割りですか?
お店では、1度飲んでみて
“良い”と思うと
お店の中で流行りました。
従業員全員(私も含め)やお客さんの
遊び心も豊富だったので
色んなので割って飲んでみたりもして
毎日を楽しく充実させていました。
(辛い事もありましたけど・・・)
そんな毎日でしたが
ある時、沈んだ声で
「ママと一緒に住みたい・・・」と
一緒に住んでいない娘から
1本の電話があり・ ・ ・
次回~~~女の生きた道~~~
第33話 <もう嫌だ・・・>
色々な事がたくさんありましたが
お店では、いつも明るく
楽しい場にしていました。
何かがあっても明るくしていましたが
何かが解決すると
また何かが起こる・・・みたいな・・・
そんな感じでもありました。
次回は、
娘が私の所に来るのですが
その時の状況のお話を
語りたいと思います。
いつも読んでいただきありがとうございます☆
これからも宜しくお願いします☆
前書き:水商売という仕事をして
自分のお店を持ちましたが
本当に色々事がありました。
自分でお店を出して4年ぐらいの
月日が経った頃、
娘が4階から落ちたと
学校の先生から連絡が来たのです・・・・・
~~~女の生きた道~~~
第31話 <不幸中の幸い>
自分のお店を持ち
息子の病気もありましたが
狭いお店から広いお店へと移転もでき
自分のお店を持って4年の月日が経った頃
松山千春のコンサートがあり
お客さんに一緒に行こうと誘われていました。
松山千春の歌は好きだし
そのお客さんは、
間接的に松山千春を知っていて
松山千春と一緒に写真も撮れるかもと
言われていたので
私は、もし直接見れたらラッキーと思っていました。
当日になってお客さんと待ち合わせをして
松山千春のコンサートに向かおうとした時
私の携帯が鳴り、
知らない番号でしたが電話に出てみると
一番下の娘が自宅の4階から落ちたという
電話でした。
先生の話だと
「意識は、あるようですが
今、救急車で搬送されています」と聞き
病院を聞くと何処の病院に搬送されるか
先生は分からず
すぐに地元の消防署に連絡を入れ
何処の病院に運ばれているかを聞いて
お客さんに事情を話して
すぐに病院に向かいました。
病院に着くとまだ救急車は来ていなく
私の方が早く着き
看護婦さんに救急車が来るかどうかを確認して
娘が来るのを待ちました。
救急車の音がだんだんと近づいて
救急車が来ると
娘はタンカーに乗せられていて
意識は、あったものの泣いていました。
私は、4年前に家を出ていて
子供達を残したままで
すぐに息子だけは、私の所に来ましたが
娘2人は、連れて来れなかったので
娘の顔を見るのが久しぶりで
この時、もの凄く家を出た事に後悔し
いったい私は何やってんだろう・・
コンサートなんて浮かれて
仕事だけ一生懸命やってればいいのに・・・
本当、私、何やってんだろう・・・
と凄く反省しました。
娘が運ばれて来てから
旦那もすぐに来ましたが
私の顔を見るとすぐに
「帰れ!今すぐ帰ってくれ」と言われましたが
帰らずに病院の先生に話を聞き
先生に
「運良く片足の骨折だけなので
帰っっても大丈夫です」と言われ
ホッとしたものの
やはり心配なので
「内蔵破裂とか大丈夫なんですか?
時間が経ってから出血したなんて
話、聞いた事があるんですけど・・・」
と先生に言うと
「もし、体の変化があった時には
救急車でうちの病院にまた来てください」
と言われ
旦那は、
「わかりました。」と言っていましたが
私は心配だし一緒に住んでいないので
何かあってからでは遅いと思い
旦那がいなくなったすきに
先生に
「何かあってからでは遅いし
心配なので入院して様子見たいんですけど
病院の方が安心なので入院させて下さい」
と言いました。
先生は
「心配なら入院させます」と
言ってくれて入院する事になりましたが
娘が病室に入ってからも
旦那に
「帰れ」 と何度も言われ
娘が私と居たい気持ちも分かってしたし
私も娘と一緒に居たかったので
帰らずにいました。
お店は、とりあえず開ける事にして
9時には病院が消灯なので
お店に行くギリギリまで病院にいて
毎日病院に行きました。
当然、毎日「帰れ」とは言われてましたが
そんなの構わずに病院に行き
1週間ぐらい入院して大丈夫と言われ
娘は退院しました。
退院の日は、とても複雑なもので
私は、一緒に帰る事もできず
娘2人と話は、しましたが
旦那と一緒に娘2人が車に乗ると
手を振る間もくれないかのように
あっと言う間に行ってしまい・・・
娘達と一緒に居れた時間は
凄く良かったのですが
退院して娘達が帰ると
そこに立っていた私は、なんか・・・
ポツン・・・と残されたような感覚で・・・
寂しい気持ちでした。
その後、風の便りで
娘のケガも治ったと聞き安心しましたが
本当にそれぐらいのケガで良かったと思います。
命があって本当に良かった。
その後
私は、いつものようにお店に行く毎日の
繰り返し・・・・
母親として何度も娘達の事を考えましたが
どうする事もできず
そのまま、日は経って行きました。
どんな事があってもお店では笑顔・・・
ある意味 嘘ですよね・・・
自分の気持ちとは裏腹なのですから・・・
それでも私は明るく振る舞っていました。
今、思ってもその時の自分は凄く嫌です。
お店をやって毎日飲むので
酔わない日は、なく
毎日が酔ってて・・・
嫌な事があってもニコニコ笑って
自分の感情をコントロールできずに
泥酔も良くありました。
次回は、がらりと話が変わりますが
お酒の飲み方も様々で
色んな割り方で飲みましたが
何割りにしたか?とか
そんな話をしたいと思います。
次回~~~女の生きた道~~~
第32話 <貴方は何割り?>
今回、かなり考えてしまい
ブログを更新する事が
なかなかできませんでした。
ですが、
今は、もう大丈夫です。
これからも書いていきますが
また更新が遅れることがあるかもしれませんが
これからも宜しくお願いいたします。
いつも読んでいただきありがとうございます。
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前書き:30歳から水商売を始めて
32歳には、自分のお店を持ち
色々な出来事がありましたが
お店も安定して自分に余裕ができて
日本舞踊という習い事を始めました。
~~~女の生きた道~~~
第30話 < 日本舞踊 >
もともと着物が好きな私には
歴史は苦手でも
日本の伝統というものに
興味がありました。
日本舞踊を習おうと思ったのは
“着物が好き”という理由からでしたが
以前、私は、よさこい活動をしていて
ジャズダンスの先生(おばさん)から
よさこいの振付の依頼が入り
ある病院の看護婦さん達の
よさこいのチームの振付をしていました。
その振付が完成すると
その事がきっかけで
自分が参加していた よさこいチームからも
声がかかり、オリジナル曲に合わせた
振付をして欲しいと頼まれ
お店をやりながらも振付を考え
市町村の方達の意見も取り入れながら
振付は完成し
よさこいに興味が無かったわけではないですが
やはり日本舞踊というものを
やってみたい・・・という気持ちが強くなり
自分で調べてある先生に電話をして
お稽古を始める事にしたのです。
日本舞踊に興味があるだけで
日本舞踊の右も左も分からなく
ただ知っているのが
私の一番下の娘が小さい時に
“ 藤娘 ”という踊りを
お祭りで踊った事があり
お祭りで踊ってる娘を見て
私もやってみたい・・・と思ったものの
やっぱり今更無理・・・と諦め・・・
そのまま時が過ぎ・・・
だったので知ってるのは
“ 藤娘 ”だけでした。
何も知らずに日本舞踊の見学に行き
先生に
「どんなのが習いたいの?」と聞かれ
私は、どんなの?と聞かれても
どんなのがあるかも分からなかったので
返答に困っていると
「今風の歌謡曲の踊りもあるし
古典で昔からのもあるけど」
と先生に言われ
私は、今風より興味があるのは
昔からのほうだったので
「古典がいいです」と答えて
習う日程を聞いて
週に1度
日本舞踊を習う事となりました。
習い始まってからまだ3度目の時に
先生に
「ねえ、舞台出てみない?」と言われ
習って3度目の私は
「無理です。そんな・・・」
と言ったのですが・・・
先生に
「記念になるし、なかなかこんな機会ないし
お金は、かかるけどやってみない?」
と言われ
目立つ事は好きでしたが
金額も気になり
「いくらなんですか?」と聞くと
「衣装代、かつら代、メイクで30万ぐらいかな?」
と先生に聞いて
やってみたいものの
30万と聞いて考えてしまいました。
色々聞くと まだ安いほうで
高い舞台に出る人は
100万ぐらいかけて踊る人もいるみたいで
舞台に出るか出ないかは
決める締め切りが近いという事で
すぐに返事が欲しいと言われ
結局、舞台に出る事にしました。
舞台と言っても初めてで
しかも日本舞踊すら初めて
舞台に立つまで約7ヶ月
時間もないので
必死でお稽古を習いました。
踊りは、先生の勧めで
“ 新鹿の子 ”という踊りでしたが
当時は、先生にどんな踊りかを
説明されても 良く頭に入ってなく
踊るのが精一杯でした。
舞台の前日に普通は
リハーサルをするのですが
私は昼間の水泳指導の仕事と
夜の自分のお店があるので
リハーサルには出れず
先生に
「リハーサルに出ない人は、いないけど
仕事だから特別に先生(先生の主将)に
伝えておくから。
ただ、ぶっつけ本番には、なるけど
大丈夫かな」
とか言われ・・・
当日は、かなり緊張して
初めて1人舞台に出ました。
少しづつ習っていくうちに
踊りの表現の仕方とか
体の姿勢は、もちろんですが
すり足から指先や体全体で表現する
日本舞踊にどんどん引かれていきました。
私が初めて踊った“ 新鹿の子 ”は
“ 京鹿子娘道成寺 ”の進化したようなもの
と先生に聞いてましたが
この“ 京鹿子娘道成寺 ”という踊りは
話すと長くなるので簡単に言いますが
昔、清姫という女性が安珍という男性に
恋をして、清姫が安珍を追いかけるのですが
安珍は道成寺に逃げ
道成寺の鐘の中に隠れるのですが
安珍を思う清姫は大蛇に化け
鐘にからみつき燃やし殺してしまうという
なんともまた 私には魅力的で
それを日本舞踊で表現するのですから
なんとも・・・とても素晴らしく思いました。
私が踊った“ 新鹿の子 ”は
その清姫が恋をしてる姿を現した踊りで
清姫の華やかさを表しますが
どちらにしても私には魅力的でした。
舞台は3度程出させてもらったのですが
習えば習うほど 舞台には出たくなるし
お金がかかる事も現実だったので
2年半ぐらいで辞めてしまいましたが
今でも日本舞踊には興味があり
まだまだ日本舞踊の知識は全然ありませんが
機会があったら習いたい気持ちもありつつ
色々な舞台を見てみたいと思ってます。
当時お店でふざけてお客さんの前で
踊った事もあり
何事も無かったので
そんな事もできたのだと思います。
そんなこんなで自分自信に余裕ができると
結構 色々と視野が広くなり
活動も広がります。
が・・・この習っていた期間の中
のん気に習い事が出来なくなった事がありました。
一時、不運が訪れてきた事があったのです。
この時、初めて私は、
家を出た事に後悔しました。
なんでこんなに私の子供ばかりに
不運があるのか・・・とまで思いました。
一番下の娘が4階から落ちた・・・
と連絡が入ったのです・・・
次回~~~女の生きた道~~~
第31話 <不幸中の幸い>
私は、今39歳ですが
私の30代は、本当に色々な事があり
普通の人では、あり得ない体験を
数多くしたと思っています。
この世の中ですから
もっと あり得ない体験をした人が
世の中にいるとは思いますが・・・
私もその一人なのでは・・・
と、今までの事を思い出すと
つくづく思います。
次回のお話ですが・・・
次回のお話を語った事によって
私が私である。という事を分かる人が
いるのは確かで
ただ、もとの旦那に分かってしまった場合
何を言われるか怖い。というのも現実で
正直、ここまで書いてきて悩みました。
何度も話を変えようか・・・と悩み・・・
この事は書くまいか・・・と悩みましたが
目に見えない大事な何かを伝えたいのと
今までの事に背を向けたくないから
書く決心をしました。
やはり、以前の事も 先の事も大事ですが
一番大事なのは
“ 今 ”なので
今、思う、この気持ちを
ちゃんと書こうと思います。
いつも読んでいただき
本当にありがとうございます。
私の思う気持ち 思った気持ちを書いていますが
皆さんからのコメントやメッセージで
思わされる気持ちもあります。
この“ 思う気持ち ”は大切だと思います。
何かコメントありましたら
遠慮せずにコメントして下さい。
これからも宜しくお願いいたします。

