次って大事。







次の意識が今の行動、姿勢、思想に出る。







「次」大事マンブラザーズ。


















2019年4月6日に上野恩賜公園で花見して起こったことをありのまま伝えるわ。






友達めちゃくちゃ誘って前日の夜に来てブルーシートめちゃくちゃ気合い入れて広めに敷いて場所取りしたんやけど、令和元年度で忙しい人がめちゃくちゃ多くて、想定より人が少なくて場所がめちゃくちゃ余ったんよ。 「そんなもんか〜」って嘆いてたら、花見始める前にドイツのお姉さんが来て、飛び入り参加してもらえることに。






そこで閃いた。 「EVERYBODY WELCOME IN HERE 」 「PLEASE COME」 「誰でも歓迎!みんなで花見しましょう!」 ってホワイトボードに書いたりした。






つまり、オープンスペースにすることに。






そしたらそれ以後めちゃくちゃ目を向けられるようになって実際に飛び入り参加してくれる人が。






ドイツのお姉さんをはじめ、日本のDJさん、ベトナムのCAさん、フィリピンのご家族、ペルーと日本のハーフさん、etc... 飛び入り参加してもらえて国籍年代身分KHAOS花見に。






こんな形のmeet upもあるのかと興奮した。






ホワイトボード有能すぎんか?
ダンボールも。





↓僕のホワイトボードとダンボールをインスタで公開中
Mickeyのホワイトボードとダンボール

↓今回の花見をきっかけにEW(EVERYBODY WELCOME)communityという「場」を立ち上げました。communityメンバーの皆さんそれぞれが創り、大きくし、交流していく「場」です。国籍、年代、身分に限りなくEVERYBODYで新たな御縁、価値観、機会、理解、文化etc...などを創出、促進させ、それら全てに対してWELCOMEな場となるよう、様々なイベント、プロジェクトを企画運営していきます。詳しくは↑のインスタのDMから。

言葉。

















「ええやんwww」
「おもろそうやんwww」
「あかんwやってもたww(失敗)」


















乞食って言われちゃったんやけど、よく考えてみたら乞食ってどんな意味なのかよく分かってなかったので、ディスられているのか曖昧。




ディスられているのはニュアンスで分かるが。




調べてみよ。


以下コトバンク引用


金銭や食べ物を他人からもらって生活する者。




ほおほお、




0円台湾一周中は他人から車に乗せてもらい、他人の家に泊まっていたのでなんとなく合っているのかな。





社会の落後者としてのイメージがあるが、歴史的には、宗教活動や芸能活動として行われたものや、民間信仰、風習上行われたものもあった。



お?




日本の例でいえば、山伏、虚無僧(こむそう)や一般の僧侶(そうりょ)も行った托鉢(たくはつ)などは、単に生活できないための対策としてではなく、宗教活動の意味をもったものの例である。また、万歳、鳥追い、獅子舞(ししまい)、人形回しなどの門付(かどづけ)芸人は、庶民の芸能活動として行われた例である。さらに、物ごいをすると、ある病気が治るとか健康でいることができるといった伝承などは、民間信仰、風習の例である。
 外国にも同じような歴史があり、古代ギリシア・ローマ時代にはミモスやミムスとよばれる身振り狂言師が放浪、物ごい生活をしており、中世には種類も多くなって、吟遊詩人(逃亡したり追放されたりした僧侶や学生が多かった)、曲芸師、道化師、演歌師などが放浪、物ごい生活をしていた。これらの者が果たした役割は文芸史の一端を担う意味をもっていた。














あさみ (@thapthim0614)さん、あなたは「台湾一周とかいうタグ見たらゼロ円とかいうの出てくるんだけど 日本人はいつからこんな乞食になっちゃったの」と呟かれていますが、僕が調べました。ご参考ください。








さらにはこんな情報も見つけておもろい。



◆信者の家から物をもらう

乞食の字面から連想されるとおり、これは他者から食べ物を始めとする生活必需品をもらい受けることを意味します。初期の仏教では乞食をよく行いましたが、お釈迦様も乞食をしていたのです。めぐる家は基本的に信者の元であり、時にはその家でそのまま食べさせてもらうこともありました。

◆始まりはバラモンの四住期

乞食の起源はバラモン教にまで遡ります。バラモン教の四つの階級のうち、奴隷のシュードラを除く三階級に属する男子はその人生を住機(アーシュラマ)と呼ばれる四つの段階に区分けしていました。乞食は最終段階の遊行期(サンニヤーサ)で行われます。湯行期とは住まいを持たず、乞食をしながら行脚をする時期です。

◆乞食を行うその理由

「食べ物くらい自分で調達したらどうだ」とのご意見もあるでしょう。禅宗では自ら田畑を耕します。
しかし大部分の宗派では農業の生産並びに商売は禁止です。農業の方は仏教における戒律の一つ、「不殺生戒」に抵触し、商売の方は欲にまみれる為です。
農作業をすれば地面を踏み鳴らす、作物を刈り取るなどをした時に虫を殺してしまう可能性があります。そのくらいいいじゃないの、とならないのが仏教です。また自分で生産となると「もっと多くとれるよなあ」などと欲がもたげますが、他者からの施しとなればあまり図々しく出られません。
少しであっても感謝をしようとの気持ちを芽生えさせるのも乞食を行う理由です。感謝だけでなく、仏僧最大の目的である煩悩の滅却並びに悟りにも近づけます。
そして、施す側も自然と功徳が付くという仕組みです。乞食は意外と理になかった修行と言えます。

※以上 記事「働くのは禁止?仏教僧の乞食修行とは」から引用















おばあちゃんによく言われていたことがあって、





それは、









「とりあえずありがとうって言え」



ってこと。










おばあちゃん自身もその「ありがとう」は大事にしているらしく、めっちゃ「ありがとう」って書いたタオルケットの存在をよく覚えている。







ありがとうありありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとう








こんな感じだ。







最近は自営業者や経営者の方と会う機会に恵まれているけど、その人らはみな口を揃えて言うのが「感謝」。






それを常に意識しているらしい。










うん、







乞食ってええやん。









修行修行。


小さなことで感謝できるようになるよ。



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