皆さま、こんにちは!
アスペによるアスペの子育て実践中の岩堀由美子です。

先日、通信制高校1年生の娘の国語のレポートを覗いたら、「自立とは」みたいなお題の中に私の事が分析されていて驚きました。娘の認識における私の在り方が大変興味深かったので、ブログに載せていいか尋ねると、軽く「いいよ」いただきました。強烈な読み書き障害でLDの彼女には、レポート提出の多い通信制高校進学にあたり、高価なiPad Proとインクジェットプリンタをプレゼントしたのですが、奴は未だに文書作成にiPhoneを使い、直接プリントアウトして切り貼りでレポートを作成しています。

横に飛びます。

さて、今月末には前期試験があります。書字障害への配慮として、別室でのパソコン受験をご提案いただいたのは9ヶ月前。感謝感激で入学を決めて以来、娘には再三タイピングの練習をお願いしてきました。コナンくんのタイピングゲームも買いました。が、キーボードに触れもしない娘。

ちなみに、娘とは一貫して私が指示や命令を出す関係にはなくて、お知らせ、お願い、クレームといったビジネス感覚でやっています。なので、「怒らずに叱れ」という子育ての指針とは逆に、私が上から娘を叱ることはないけれど、私が不機嫌になったり腹を立てれば、娘としてもそれなりに対応してきます。ただ、私は滅多に腹が立たないので・・・

というわけで、いろいろ思うところはありますが、「コピペでブログに貼るしLINEで送って」と頼むと送ってくれるので、とりあえず、この世にスマホが在る事と娘さんのご親切に感謝です。

やっと本題。

以下、娘のレポートのコピペです。

「何かができる」その何かは、本当に自分ができなくてはならないことだろうか。母の精神科医は昔、母が子供を産みたいと言った時「そんな犬にでも猫にでもできることあなたがしなくていい」と言った。確かにそうだと思う。勉強や仕事、誰かがやらなくてはいけないことは沢山あっても「自分ができなくてはいけないこと」なんてそう多くはないと思う。なら、母は私を産んで何を得たのだろう。それは喜びであったり愛であったり、きっと自己を肯定することだと思う。必要なのは技能でも義務でもなく、何でもないこと、できて当たり前のことを当たり前でないと気づけることだ。今の自分がどれだけ何ができるかではない。それができることによって得たものの大きさで人は豊かになり、自分を肯定することは他者を肯定することにもつながる。誰かが誰かを無意識で認め、頼り、頼られ、それをお互いが喜びと思える心が、それぞれの無限の依存関係につながり、他からの評価で測れない部分で自分を持つことが本当の自立だと思う。

以上。

とても言葉たらずで分かりやすいとは言えないし、読むと文章校正したくなる。けど、まぁ、さすがに当事者の私には分かる(笑)。「母は私を産んで何を得たのだろう」という問いの設定に痺れた(笑)。「母は私を産む事で愛と喜びと自己肯定感を得て、人として豊かになり、本当の自立ができた」みたいな展開にはぶっ飛んだ(笑)。

これぞ、どんだけぇ〜⁈
突っ込みどころ満載やん(笑)
無限の依存関係怖い〜(笑)
母は本当に自立しているのか?(笑)
お母さんの人生、私のおかげ説(笑)

笑ってる場合じゃないけど、
笑える時に笑っておくか(^-^)

それでは、皆さま、また近いうちに。