こんにちは!

アスペによるアスペの子育て実践中の岩堀由美子です。

今日は前半に発達障害の子育て情報、後半はアスペを生きるあなたへの伝承という事で。

 

先ずはお知らせ。。。8月は諸所の事情で開催が厳しいので、夏休み明けにおしゃべり会します。

 

『発達障害児を育てる保護者さんとのおしゃべり会』

日時  9月2日(日)18時〜20時

場所  内房(アンパン)韓国料理

  京都市中京区三条通り新町西入る南側

  http://kyotoanpan.web.fc2.com/

参加費  1000円  韓国料理の軽食付き

 軽食をご用意いたしますので、事前申込をお願いします。

yumiko@iwahori-fp.com

09066648403

岩堀由美子

 

夏休みになりました。へたれな私はこの酷暑に完全に打ちのめされており、可能な限り外出を避け、涼しい部屋でゴロゴロ転がっています。

中3の娘は学期末の3者面談で「少なくとも夏休み中に受験勉強を始めることはない」という方針が合意されたことから、この夏休み中に描きたいものと書きたいもの、読みたい漫画、観たい映画、会いたい人たち、その他イベントや企画をてんこ盛りに盛っています。今朝、私を巻き込んでのダブルブッキングが判明したため、「予定を入れる前にスケジュール(アプリで共有)確認してくれる?」とクレームを入れたところ、「その予定はまだ確定してないし!」と逆切れされました。やれやれ、その反応は「まだ自分で上手く出来ない」ってことですよね?来春には中学卒業ですから、これからは娘にも予定管理のスキルが必要になってくるでしょう。まぁ、本人が相当強く必要性を意識しない限り、自分の発達特性に応じた管理システムなど構築できないわけですが、彼女の特性からして一度システムが起動したら、半永久的に稼働し続ける可能性が高いですから、拙速な情報提供は慎んで見守って行こうと思います。

 

ここで基本事項の再確認。子どもが逆切れするのは「出来ない事」を指摘、要求、非難された時ですね。「困った」「分らない」「不安」な時にも切れたりフリーズしたりします。ちなみに、「面倒くさい」「興味ない」「どうでもいい」も、かなりの確率で「分らない」「出来ない」「たすけて」あるいは「今は無理」と翻訳できます。これ、発達障害の子どもだけじゃなくて、社会の様々な場面で広範囲に観察される反応ですね。

 

さてさて、発達障害児を育てる保護者さんたちへの近況報告はここまでです。

 

引き続き不完全な変態に苦しんでいる私ですが、自分の中で激しく相克し合っているのは「他者の命や痛みに寄り添おうとする脊椎反応」と「平然と執着を手放せる非情な思考様式」だと言語化できるくらいには見えているわけです。そして揺れに揺れ続けて未決のままなのが、関心と共感と責任の対象範囲です。生きれば生きるほど人から受けた恩が累積し、他者から受け取ってしまった愛情や感謝や信頼が自分を縛るようになります(笑)。自分の欲望の実現だけに忙しかった頃には、無知で愚かで低俗だと瞬時に切り捨てられた多くのものを、「それでも愛しい、哀しい、貴い・・・」などと顧みるようになったりします(笑)。激しい怒りや蔑みが諦念に替わり、「私は古くなってしまったのだ」と実感したりします(笑)。まぁ、特別なことじゃないですね。歳をとって、角が取れて、「いい人」になるのは普通のことだと思います(笑)。

 

それでも、この不確実で不安定な世界に、生き続ける限り他者の支援を要する弱者として、誇り高い娘を残して逝くのだと思う時、同類の存続を願う本能が覚醒し、策士たる私が策に溺れ始めます。

 

私は21世紀初頭の日本の京都という、清潔で安全な環境で子育てできた事を僥倖として深く感謝しています。重度の自閉症スペクトラム症で重度のLD、読字障害、書字障害、計算障害を併せ持つ娘が、14歳の今日まで善良で愛情深い人々だけに囲まれ、理解や支援に恵まれ続けた事を、本当に本当にありがたいと思っています。私は娘を小学校へ行かせませんでしたし、自分も中学高校へは行っていません。日本の公教育には期待も関心もないし、不登校の子どもたちにも「無理して学校へ行く必要はない」と言い続けている立場です。それでも今の日本社会には、私たちの存在を許容する空間があります。娘は地域社会の様々なコミュニティーや、行政、医療、教育、福祉に関わる、たくさんの人々に見守られ育てられました。私は妊娠する前から「子育ては母親の責任だ」とは欠片も思っていなくて、「子どもは社会が育てるもの」だという、改革開放以前の中国的育児観のもと子育てしてきました。だから、子育ての方針は自己責任で独自案を策定しましたが、実践段階では広範かつ多様な現存の社会資源を最大限に活用しました。結局のところ、思想的一貫性を意識するならば、私の娘は「社会の宝」であり「社会の財産」=「地域の未来を担う構成員」ということになります。14年間の成育歴は、彼女個人の財産であると同時に、彼女の属性の一端を規定するものでもあります。

 

とはいへ、

 

関心と共感と責任の対象範囲は、脊椎反射で伸び縮みします(笑)。高校野球、プロ野球、WBC・・・観戦者の属性が自動的に反応するでしょう。あるいは、野球には全く反応しないかも(笑)。子どもは国の宝ですか?郷土の宝ですか?家の宝ですか?それとも人類の、世界の宝?

 

いやいや、私たちは宝物じゃない(笑)。だって物じゃないし(笑)。しかも障害者だし(笑)。社会に余裕がなくなったら真っ先に淘汰されるし(笑)。どんなに平和で善意に満ちた社会に暮らしていても、私たちが絶対的少数者である、その事実を忘れる瞬間はない。私たちは宿木のようなものなのでしょう。立派な大木の一部のようでもあり、どこまでも別な命でもある。

 

さてさて、今は語り続ける時間がなくなってしまいました。

 

アスペを生きる君に、アスペを生きてきた私が、アスペの一人娘が生きるだろう「私のいない世界」を思う時、何を考えるのか伝えたいんだけど・・・それは、また今度。