ご無沙汰してます。
アスペによるアスペの子育て実践中の岩堀由美子です。
50歳になり、時代と空間と自分を繋ぎなおそうとしています。
最近、14歳の娘が「教育」という言葉をよく口にします。ただ、その内容が日本の標準的な学校教育や生活環境で提供されるものではなく、私個人の価値観や思考様式、判断基準、行動基準などを娘が受け継いで、「最低限の常識」、「人間としての基本中の基本」などと言うので困惑します。「なんでいい大人がそういう教育を受けてないの?」というように。
娘が私から受けた影響を「教育」と呼ぶとき、「そんなつもりじゃなかった」という違和感を覚えます。私は自分の経験を語り、思いを語り、価値観を示し、個別の物事への姿勢や意見を伝えてはきましたが、それは多様なエピソード、囲炉裏端の伝承のつもりでした。娘のために「教えた」ことは本当に少しだけなのに、なぜ彼女はいつの間にか、「教育」を素晴らしいものだと認識しているのか?「教育」が人間を創るなどど思っているのか?
「教育」という言葉は、私に生理的嫌悪感と猜疑心を喚起します。なぜなら、教育には「個人の発達を促進し、能力を開発する」と同時に、「社会的に望ましい人格と能力を育成し、情報を共有させる」という意図があるからです。この「社会・共同体の構成員」として求められる性格・能力は、時代と場所によって様々に異なります。日本政府は公教育により日本人にふさわしい国民性を形成し、日本社会の安定と繁栄を目指します。アメリカ、中国、フィンランドやドイツであろうと、国家・地域の公教育にはあるべき「人間像」があります。私にとって教育は、他者が提示してくる自らの可能性と未来、無力な子どもという立場からの解放と逃れようのない属性を、表裏一体で差し出してくるものでした。幼い私の精神と身体は求められた型や様式に拒絶反応を起こし、価値観の共有を拒否し続けたあげく壊れてしまいました。
さてさて、小学校への不適応に苦しんだ私は酷い二次障害となり、中学3年間は完全な不登校、高校へは進学せず二十歳で大学に進学してからも、たくさんの時間を闘病に奪われました。長い長い地獄の日々は10年以上も続き、私は病み狂った自己と向き合い、戦い、ねじ伏せ、和解し、自身に対する制御を取り戻しましたが、思春期と青年期の貴重な時間のほとんどを浪費してしまいました。現在、私が自殺者にも殺人犯にもならずに社会の中に居場所を確保し、幸せに生きているのはありえないような僥倖に恵まれ続けたおかげです。
私の僥倖の始まりは、出会った親と精神科医が素晴らしかったことで、彼らが中学1年で13歳の私を、日本の学校教育と社会常識から完全に解放してくれました。学校の外にも日本の外にも世界は拡がっていて、人間は本当に多種多様な文化や社会を形成している。世界には想像もできないような人生を送る無数の個人が存在する。この現実を深く深く認識したうえで、今、自分の直面している環境と時代の流れを眺めましょう。あなたにとってあなたは(あるいは娘や息子は)無条件で大切な唯一無二の存在です。自分は自分で教育すると決めて、生存戦略を策定しましょう。
『発達障害児を育てる保護者さんとのおしゃべり会』
日時 6月24日(日)18時〜20時
場所 内房(アンパン)韓国料理
京都市中京区三条通り新町西入る南側
http://kyotoanpan.web.fc2.com/
参加費 1000円 韓国料理の軽食付き
軽食をご用意いたしますので、事前申込をお願いします。
yumiko@iwahori-fp.com
09066648403
岩堀由美子