小学校へは全く行かずに中学デビューしたアスペ娘も、2年生になってずいぶんと落ち着いてきました。たくさん療育を受けて育ってきて、中学校でも少人数制の療育のような対応を受けており、それなりの社会的適応を進めつつも、ありのままの姿に近い感じで今を迎えています。
最近、車の中でこんな会話がありました。
娘曰く、「主義とか思想とか宗教とか、全部『人類全体の幸福』とか『人間みんなの幸せ』を目指した結果だと思うけど、私は私の幸せにしか責任もてない。」
凄まじくアスペ的なこの言葉は、私には清廉なものでした。
だから言いました。「自分の幸せにだけは責任をもってね。あなたが幸せならあなたを愛するみんなが幸せになれるし、あなたは自分の幸せのために、あなたの愛する人達を幸せにしようとするだろうから。」
集団に共有される思想はどんなに素敵なものでも、私たちの魂をとらえきることは出来ないのですよ。
先日、娘が唐突に「マルクス主義ってどんなもの」というので、ちょっと説明しようとしたらエラク長くなってしまいました。むか~しむかし、哲学から経済学が派生して、市場における「神々の見えざる手」が信じられていて、石炭というエネルギーから蒸気機関が発明され産業革命が起こって、農村から都市へ流入し労働者になったたくさんの人々が悲惨な生活をしていたころ、その発展段階の人類の歴史において、西洋人が住む地域の社会を動かしている仕組みに、マルクスという人が「資本主義」という名前を付けました。資本主義とは何かを労働の価値から語る経済学を語ったら、それは「共産主義」という一つの体系的な思想にまで昇華して、結論として階級闘争と革命を提示し、ソ連や中国のような社会主義国家が実際に誕生しました。ちなみに社会主義は共産主義が完成する前段階の状態ね。
中略
計画経済と市場経済は理論的にはどちらが優れているというものでもないけど、現実には計画経済はうまく行かなかった。マルクスが主張したわけじゃないけど、みんなの労働を平等に評価しようとした結果は、たとえば、誰にでも作れる程度の服を誰もが着ていて、だれにでも作れる程度のお茶碗を誰もが持っているというような世界になってしまった。貴族や資本家のいない世界では、匠とか職人の仕事もニーズがなかった。
「アーティストはどうなったの?」というので、最高の技術水準をもつオーケストラとかバレエ団を作ることはできても、お父さんとかが言うような意味での芸術は許されなかった。現状に対する批判や新しい価値観の提示が芸術の意味であるというならば、そういうものを内包していく度量はなくて弾圧されてしまった。
でもね、これはマルクスの話じゃない。マルクスは一人の人間で、経済学者で、その当時の社会の中で生まれた彼の思想を書いただけ。原典は専門的で難しいから、わかりやすい紹介本を自分で読んだらいいかな。
きっとディスレクシアの娘は難しい専門書を読めるようにはならないだろう。それでも今を生きる限りは「グローバリズム」とか「持続的発展」を意識して考えたりするんだろう。どこで彼女の思考の基礎になるような、教養ってものをつけてあげればいいんだろう。読めなくても、かけなくても、考えないわけにはいかないんだから。