テレビでX‐JAPANを観た娘が、「この格好いいオジさん達は誰?」というので、映画館で『WE ARE X』を観た。こんなにつらい気持ちになったのは久しぶりだと言えるくらい、本当に苦しい映画だった。こんな風にしか生きられないからこそ、これほどまでに人の心を掴むんだと思った。
25歳までの私は自分は表現者として生まれたと思っていたし、学校へ行っていなかった10代の頃は様々な分野の表現者に囲まれていた。詩を書き、文を書き、絵を描き、芝居をし、お箏を弾いたり朗読をして、自分を表現することでかろうじて希死念慮と闘い、海に潜ってバイクで走って、ディスコで踊って苦痛をなだめ、なんとか毎日を生きながらえていた。
私が生きるための戦いをしなくてよくなったのは、中国と出会ってからだ。中国に留学した私は、「生き物としての社会」や「現実としての時代」に出会い、自分や個人よりも他人や社会の方が面白くなった。私は私の内面世界から自由になり、苦痛を捨てて生きていけるようになった。
私が娘を産んでその子が発達障害だとわかって以来、可能な限り心や魂に傷をつけず、自信と安心感をもって自分の外側の世界と対峙しできるように育てようとしてきた。ありのままの彼女を壊さずに大人にできれば、どんな人間に出会えるのかを楽しみにしてきた。自分自身にもあったかもしれない可能性を、容(かたち)にしてみたいという欲望があった。そして、思春期を迎えた今、彼女は様々な自己表現手段を獲得しつつ、日々を楽しそうに過ごしている。特性を認められ受け入れられ守られて育った発達障害児は、本当に個性豊かでエネルギッシュだ。
しかし、『WE ARE X』を観て思ったことがある。壊れてしまってけして救われないからこそ、永遠に消えない苦痛を抱え続けているからこそ、出来る生き方があり、生まれてくる表現もあるのだと。その個人的な魂のありようが、とても多くの人に影響を与える表現になるのだと。
私は・・・力のある作品を生み出したいとう欲望よりも、幸福感のうちに生きられる自分に価値を見出した。表現よりも、創造よりも、たった一度の自分の人生の方が大事だった。私は・・・表現しなくても生きていける今の自分のありように感謝している。魂の血を流すことを、代償を払うことを恐れたから。その痛みを知っているから。
深い深い痛みや怒りや悲しみは大きな衝動と表現を創る。夫が表現者としての活動拠点に中国を選んでいるのは、その環境がもたらす絶望と対峙し続けるためなんだろうという気がしてきた。彼と共に幸せを求めようなどというのは儚いことなんだろうと思う。
さてさて、娘には自分自身の表現手段をもって生きていって欲しいし、豊かな思考体で在って欲しいと願う。でも、魂の血を流しながら激しく生きて欲しいとは思わない。好きにすればいい、なんでも好きにすればいいけど、私はかなう限りの力で彼女を闇から守ろうとするんだろう。私もくだらない母親になったものだ。
母親になった私がくだらない表現者になったのだ。子育てはとてもクリエイティブな営みだけど、私の子育ては一見とても前衛的な試みだけど、私は娘が楽に生きていくための感性や価値観の獲得だけを願う、いたってくだらない母親だ。そのへんの教育ママや、食育ママ、スパルタママと大して変わらない(笑)。母親という立場が表現者としては絶望的に不利なのだ(笑)。
娘には幸せ以外の事を願えない(笑)。