我が家は三代続くアスペ家族です。
家の中には発達障害の人と感情のコントロールが効かなくなった高齢者しかいないという環境ですから、普通に考えてストレスの高くなる状況であるわけですが、私たちには私たちの思考様式と生活習慣があるので、定型の人が混じっている家族構成よりはいくらかマシなんじゃないかと思っています。
娘は小学校へ行かずにいくつもの療育機関にお世話になっていましたので、定型の人たちよりは様々なタイプの発達障害の子どもたちに馴染みがあります。進学した不登校児対象の少人数制の中学も、発達障害だと考えると理解しやすい子どもたちが少なくないので、娘にとっては適応難度の低い空間だと思います。
発達障害というのは非常に多様で共通項と言えば個性が強いということくらいでしょうが、「あの子はアスペだから・・・」「○○君はADHDやし・・・」「○○ちゃんはちょっと知的入ってるから・・・」と考えると、感じ方や思考パターンの特性がある程度は想定出来るので、情報の蓄積がある程度進んでいる発達障害の人たちとの方が、アスペの娘にとっては逆にコミュニケーションがとりやすいわけです。
そこで最近言い出したのが、「定型って不思議」「定型ってわからない」「定型ってなんでそんなことにこだわるの?」「定型の人は面倒臭い」というようなことです。私が一生懸命説明しているのは、「定型も多様なんだけど、大多数の人に共通すると想定してよい一般的な考え方とか感じ方の型というものがある」ということです。世の中のことは教育やビジネスなど多くの分野で、大多数の人はこういう反応をするだろう、こう感じるだろうという前提をもとに成り立っています。それを情報として認識・蓄積し、使いこなせるようになるべき時期が近づいていると思います。
最近、娘に伝えているのは、今まではあなたの特性を理解しようと歩みよってくれる人しかあなたの周りにはいなかったけど、それはお母さんがあなたを守るために作ってきた特別な環境だと理解しなさい。本当の世界には大多数の人々が形成している主流派というものが厳然とあって、私たちは少数派として存在している。大多数の「普通」の人たちと付き合わずに生きていくことはできない。だから、観察しなさい、興味をもって分析しなさい、覚えなさい。普通の人たちはどういう時にどう感じて、何にどう反応するか。どう考え、どういう行動に出るか、常に考えなさい。それを無意識に高速処理できるようになるまで、「普通」の人について情報を集めて学びなさい。
「自分は自分のあるがままでいい」という大前提が強固に構築できるまでは、このように脳と神経を酷使するチャレンジはできないと思っていました。基本的に他人に対しては「どうでもいい」「関係ない」「興味ない」「面倒くさい」という典型的アスペ・スタンスの娘に、小さい時から個々の人間について関心を持ち、観察し、分析し、対応するように促してはきましたが、今までは対象になる人々を私が選んできました。彼女の安心感や自己肯定感、自尊感情や人間に対する基本的信頼感が大きく育つまでは、他者に対し負の感情を発生させるリスクを可能な限り排除してきたのです。このような極端に人工的な方針には反対意見もあるでしょうが、私自身はやり直しの効かないたった一度の子育ての機会を賭けて、この実験に挑んでいます。私が身をもって知るアスペの特性の一つに「マイナスの経験を忘れない」というものがあり、どんなに時間がたって乗り越えたとしても、トラウマはいつフラッシュバックを起こして感情を爆発させるかわかりません。それは忘れ去られた地雷のようなものであり、今も精神に地雷原を抱える私としては、娘の身心に戦闘の痕を残したくなかったのです。
さてさて、私は世間では何でも娘の言いなりの、物凄く甘い母親だと思われていると思いますが、拘っているところが違うだけで、実は結構なスパルタ教育ママだと思います。私の娘への要求はかなり過酷なものでしょう。一人一人の「普通の人」について大量のデータを集めなさい。普遍的といえるような共通の特性を見つけなさい。定型の人の方がアスペより難しいよ(笑)。私たちにとってどうでもいいことをたくさん気にするから、揺れたり、迷ったり、ブレまくるから。思ってもいない事を言ったり、気にしていないふりや、気付かないふりをしたりもするから。集団になると意識や行動が変化したりもする。普通の人たちって、物凄く魅力的な研究対象じゃない?実は大量のアニメや映画鑑賞を通して、すでにあなたの中には膨大な情報が仮説としてストックされているよ、さあ、フィールド調査に行っておいで。