娘を連れて「私たちは『買われた』展in関西」という展覧会に行ってきました。
そこでは売春を経験した女の子たちの手記と、それを取り巻く彼女たちの写真が展示されていました。入ってみて、「しまった、字が多すぎる」と、識字障害の娘の事を心配しましたが、かなりの時間がかかったものの、ほとんどの手記を読むことが出来ました。話の内容からすると気楽な発言かもしれませんが、娘があんなにたくさん字を読む姿を観られたことは嬉しかったです。彼女はよほどの動機がない限り、字の詰まったものを前にすると視覚的にぐるぐるして頭に入らないので、同世代の女の子達の経験には強い関心をもったものと思います。(もちろん、字を読み過ぎて帰りには気分が悪くなったことは言うまでもありません。)
援助交際という言葉や少女売春からイメージしていたのは、誰でも、何か間違えばそういう事に巻き込まれてしまうということでした。それでも彼女たちの人生は続いていくわけであり、今後も長きにわたりこの社会で共生していくのですから、私にも娘にも彼女たちに対する理解が必要だと思い、メディアのバイアスのかかっていない生の情報に触れるために足を運びました。
展覧会を観て持った感想は予想とはちょっと違うものでした。
とりあえず娘の感想を先に示すと、
「(被害者になるのは)家庭環境が悪くて、判断力の育っていない子」
「(なぜこんなことが起きるかというと)親と役所が悪い」
というものでした。
娘がいう「役所が悪い」は、追い詰められた子どもたちが助けを求めても、児童相談所や学校、警察、保護センターをは力にならないばかりか、時に彼らをさらに追い詰める様子が語られていたからです。娘のいう「親が悪い」というのには二つの側面があったと思います。多くは貧困や家庭崩壊と直結した直接的な虐待と、もうひとつは経済的には恵まれているかもしれないけれど精神的な虐待。どちらにしても、子ども達は孤立し追い詰められていました。そういう環境、状態にある女の子たちが性犯罪に巻き込まれているのだと思いました。
ちなみに、援助交際というと子どもの素行の問題のように聞こえますが、展覧会で見た現実は、完全に「未成年を買春するという大人による犯罪」です。
そして娘の言う「判断力が低い」は、同世代ゆえの厳しい評価だと思いました。大人の都合で追い詰められた小学生や中学生の子どもたちには、判断の余地なんて残されていないと思います。お腹を空かせ寒さに震え傷ついて、家に帰るのがつらい女の子たちに声をかける男たちがいます。ファミレスでご飯を食べさせて誘惑し、事が終わると数千円を渡す。それでも女の子たちは犯罪に巻き込まれたとは考えないわけです。喉から手が出るほど欲しい生きるためのお金をもらえた。優しい言葉やぬくもりが与えられた。自分に価値が発生した。一晩の安全な居場所が見つかった。そして、自分はいけない子になった。
今の日本に、こんなにたくさん劣悪な環境にいる子が存在するというは衝撃です。まあ、親は劣悪とは考えていなくて、ひたすら教育に狂っている場合もありましたが、子どもにとっては生存を脅かされている状態が犯罪被害者を作っているのだと思いました。
なんの不足もない子どもたちが、物欲にかられて大人を利用する・・・「援助交際」はそんな誤解を社会に与えかねない言葉です。「未成年者に対する性的虐待」、これが正しい表現だと思います。正に最も弱い立場の者に対する搾取、性的搾取、大人による犯罪なのだと社会全体で認識する必要があると思います。
そして、私の個人的な感想ではありますが、身体を売ることにはドラッグのような中毒性があるのだと思いました。「優しさ」「温かさ」「自分の価値」そして「お金」。愛情や安心感に飢えた、自己肯定感や自尊感情の低い子どもにとっては、麻薬のような魅力があるでしょう。麻薬と同じように、自力で抜け出すのは困難な地獄なのだと思います。せめて、「あなたは悪い子じゃなくて大切な子。利用されて搾取された被害者なのよ」という姿勢で、社会の中に受け入れてほしいと思います。
「私たちは『買われた』展」。写真撮影もメモもお断りだったので、彼女たちの言葉を直接に引用することはしませんが、是非、たくさんの人に見て欲しいと思います。