娘と二人で迎えた休日の朝。窓を開けると冷たい空気と彩づく山の匂いが素晴らしくて、そこはかとない幸せを感じます。そんなこんなで、相も変わらず、娘と語り合っています。

 

最近の娘はダイエットにはまっていて、ふたことめには栄養バランスだ、カロリーだ糖質だと煩いことです。ボクササイズにコアリズム、ウオーキングと頑張っているのですが、2万4千歩も歩いたのに体重の増えてしまった日の夜には、頑張ったのに思うようにならなくて悔しいと泣いてしまいました。

 

思春期だと思うしかありません。

 

娘は標準体重より2キロばかり重いけど、筋肉もあるし痩せる必要はないと思います。私は自身の不登校時代から何人も摂食障害の友達を観てきたので、その恐ろしさを身に染みて知っています。何でも好きにすればいいけど拒食だけは困ると伝えるのですが、娘は自分はそういうのとは違うと言います。だいたい、私からすれば自分の身体や外見にこだわるのは思春期特有の症状で、思考をホルモンに支配された状態に過ぎないと思います。しかし娘は自分には強い意志があり、身体への拘りは自分の個性の一部だと主張します。

 

曰く、自分の身体を持っているということは、自分の部屋や、小物を持っているのと同じだと言います。それを管理して自分の好きなようにするのは当たり前で、それも自己表現の手段の一つなのだというのです。いくらアスペ親子の私たちでも、この感覚は共有しがたいです。しょせん「自分」は肉体と不可分な生き物だし、自分の身体は「アイテム」と同列には認識できないと思います。私が娘をダイエット・オタクだと言うと、「ちがう、私はこの身体のファンなだけ」だと応えます。さてさて、以前、魂と思考と肉体の独立について書きましたが、肉体を対象化し始めた娘はやや暴走しているようにも思えます。

 

それにしても娘も私も、自分の事が大好きです。自己肯定感の高さはゆるぎなく、思うようにならない現状の厳しさにもかかわらず、自己嫌悪や劣等感を寄せつけることがありません。まあ、他人が見れば反省がない状態と言えなくもないですが(笑)。「自分の事が嫌いだと、いつも嫌いな人と一緒にいることになるね」「自分の事が大好きだと、大好きな人と一緒にいるのと同じだね」「大好きな人と一緒にいるのは幸せだね」「そうだね、私たちは幸せだね」。今朝はそんな話をしました。

 

娘は無条件に受け入れられ、たくさん愛情を受けて育ったので、自分が愛されるのは当然であり、自分が自分を愛するのもあたりまえだという感覚ですが、私自身はそうではありませんでした。ありのままの自分では受け入れられないという感覚・・・愛されても愛せない罪悪感、受け入れられない事への恨み憎しみ、ありのままでは生きられない劣等感、周りに合わせて無様に生きる自分への嫌悪感・・・などなど、思春期を迎える頃にはほとんど最悪のコンディションで、自分自身と外側の世界に対する拒絶間と怒りを溜め込んでいました。

 

そんな私が転向を果たしナルシストの系譜につながったのは、13歳でとある少年の崇拝者となり、いつしかその影響を強く受けるようになったからです。ロッカーである彼とファンである私は誠におめでたいコンビだったかもしれません。「俺って天才!」「ヒカルちゃんは天才!」「俺って凄くない?」「マジ凄い!」「このタイミングでこのセリフ、さすが俺だろ」「マジ、ヒカルちゃんにしか言えない!」「ここがやっぱ俺なんだよね!」「うん、まさにヒカルちゃんだよ!」とえんえんとやっているうちに、日常のこまごました場面でも即座に自分を評価する発想が身に付き、どんどん自分が好きになった私は、ついには希死念慮の呪縛を振り切ることにも成功しました。マジ、ヒカルちゃんの影響力ハンパないです。

 

さてさて、自分大好きな娘は自分のためにスイーツを我慢し、自分のためにエクササイズに余念がありません。学校が昼からなのに朝早くに起きるのは、早寝早起きが美容にいいからだそうです。そうやって身体を締めることで、精神が締まるのだそうです。怠惰で誘惑に弱い私には信じられない感性ですが、まあ、娘は私じゃないので好きにすればいいと思います。彼女の考え方や実践は、私には出来ないことが多いので、しょっちゅう「凄いなっ!」て尊敬しています。そうやって母親に称賛されて、ますます娘の暴走は加速していくのです。さてさて、どこに行きつくのか冒険です。