発達障害で小学校へは行かなかったため、この春に中学デビューした娘の、最近の関心事は「お仕事」です(笑)。
「アルバイトしたい」と言うので「15歳未満は法律で働かせないと決まってる」と教えるものの、「アルバイトじゃなくてもいいし、どこかで働きたい」と。「お金もらえなくてもいいの?」聞くと、「自分のお金で服とか買ってみたいけど、今は先ず、働く習慣をつけたい。」と。
何が習慣だか(笑)。
ディスレクシアで読み書き等など出来ないことの多い娘ですから、自分にも「お仕事」ができるかどうか、早く挑戦したいのだと思います。春から行き始めた学校にも慣れてきて、何か違う刺激が欲しいのだろうとも思います。娘はお誕生日が来ないのでまだ12歳ですが、体格の良さに加えお洋服の趣味の問題もあり、街では大学生に間違われることもしばしばです。見た目ばかり大人になって行く不安定なお年頃、私が初めてアルバイトをさせてもらったのもその頃でした。
学校へ行っていなかった私は、二次障害で命も危ぶまれる酷い状態でしたが、ちょっとでも状態が良くなると、刺激を求めて外を動き回りました。当時はまだ小さな自営のお店がそこらじゅうにあり、手書きの求人広告などが貼ってありました。飛び込みでお願いしても、歳を言うと全く相手にされないのが普通でしたが、たまには「学校は?」「教育大の付属ですけど行ってません」「なんで学校行かへんの?」みたいに話し込んでくれる、奇特なオジさんやオバさんもいました。
そんなちょっと変わった新聞販売店のご夫婦に拾ってもらい、中1の時に初めてしたアルバイトが新聞配達です。10代の頃は色んなバイトをしましたが、なんといっても調子の良い時だけの話なので、たくさんの方々にご迷惑をかけたと思います。工場のラインやファミレスは一週間くらいしか持たなかったし、結構お世話になったほとんどコーヒーしか出ない喫茶店でも、レジは難しいので触ったことがありませんでした。ガソリンスタンドではつなぎの制服が嬉しかったのですが、ものの役に立った記憶がありません。今思えば、学校へ行っていないという私を面白がって、面倒を見てくれる大人が少なからずいたのです。
発達障害はもちろん不登校についても、今と比べると昔は理解も支援もありませんでしたが、街に出れば物好きで余裕のある大人にはしばしば出会えました。学闘世代でまともな就職の出来なかった人達が、自分で商売をしていたり、予備校教師やアーティストになっていたり。子どものいない在日のご夫婦にもお世話になりました。なんといっても時代はバブルで社会全体に余裕があったのでしょう。物好きな大人が私にお小遣いまでくれながら、社会経験をさせてくれていたのだと今ならわかります。
昨今では中学生が働くというと貧困との関係が中心かと思いますが、女性でありながら関西同友会の重鎮となられた上場企業の社長さんも、中高6年間は「根性をつけるため」に自分で決めて新聞配達をされていたそうです。「仕事なんて大人になったら嫌ほどすることになるのだから、今しかできないことを頑張りなさい」などと言うのは、レールの上を走りきれる定型のお子さんの話だと思います。発達障害の子に限りませんが、何歳で、どういう順番で、どんな経験をするかというのは人それぞれです。実際、私が人生で一番真面目に勉強していたのは塾へ行っていた小学校4年生の時と、留学中の20代後半です。一番伸びる盛りの10代は、薬やお酒で潰れていない時には、友達との長電話にたくさんの時間を浪費し、バイトして、バイクに乗って、海に潜って、ディスコで踊っていたのです。発達障害の二次障害で精神的苦痛の酷かった割には、素敵な青春を過ごせたのは、本当に私の自由にさせてくれた母のおかげです。
さてさて、12歳の娘のお仕事を探してみて、今の日本社会に昔のような「のどかさ」はなさそうだと理解しました。このご時世に、手書きの求人見て飛び込んで、採用になる方が怪しいかもしれません。ボランティアとか内職とかと違う、いわゆる本物のアルバイトは中学生には無理なようです。私自身は子育てについて、「今すべきことは今やりたいこと」だと思っていますが、こればかりはお手伝い出来そうにありません。
娘よ、思春期はこれからだ。不安や退屈との闘いはまだまだ始まったばかり。母はひたすらあなたの健闘を祈ります。