さっき、Hちゃんと久しぶりにしゃべった。私が車に乗って信号待ちしてたら彼女が通りかかったから、助手席の窓ガラスをおろして声をかけた。
「Hちゃん、ゆみやで!」
「ああ、ゆえちゃん学校いってるか?」
「うん、○○中学」
「今、どこに住んでんの?」
「実家やで」
「ほな、バスで通てるんか」
「うん」
「頑張りや」
そして信号が変わって、私たちは手を振って別れた。幼馴染ってこんなもんだと思う。近所で会っても会釈しかしない子もいる。でも、彼女はいつも私の最終更新情報を頭の中から引っ張り出して、気遣ってくれる。一見して分る重い知的障害だけど、彼女のコミュニケーション能力、社交術は抜きんでている。小学校が不登校だった娘を気遣い、中学が遠いと知れば引っ越したのかと確認し、実家にいるとわかれば通学手段を聞いてくる。そして、最後はいつも「頑張りや」。以上、数十秒のやりとり。彼女は次に会った時、きっと娘の学校を引っ張り出して会話を繋いでくる。
「中国人と結婚したんやって?国際結婚なんか大丈夫かいな」
「女の子生んだんやって?名前はなんていうの?」
「ゆえちゃんも小学校行ってないんやって?親子そろって登校拒否か」
中には直接話したことのない私の情報もあったりして、近所でどういう噂をされているのか分かったりもする。それでも、彼女は私を見ても誰だかわからない。以前は声をかけると慌てた様子で一目散に逃げていた。だから、彼女に会ったらとにかく自分の名前を告げる。あるとき母と一緒に出会ったことがあり、母も先ず「Hちゃん!ゆみちゃんのママやで!」とやっていた。
彼女の知的障害は外見にもしゃべり方にも一目瞭然だ。私のことも覚えていられない。それでも、私たちはある時期ごく親しい友達だった。少なくとも私は対等の友達のつもりだった。でも、あるとき彼女にそれを否定された。
「あんたは後輩や、私は先輩やし」
確かに、中学生になれば私たちは一つ違いの先輩後輩だった。でも、中学3年間を不登校で過ごした私からすれば、小学校の時の関係しか納得できない。それでも、彼女が通りかかった近所の人に、
「この人、岩堀さんの娘さん実家に帰ってきはったんや、私の付属の後輩やねん」
と言っているのを聞くと、そのまま受け入れるしかないような気になった。
知的障害者と間に普通の友情は成立するかというのは、男と女の間に友情が成立するかというのに似ている。経験のない人にはイメージできないだろうが、経験のある人にとっては自明のことだ。子どもの頃はたまに中学に顔を出した私に寄ってきて、学校のそばの路上で
「あんた、トーコーキョヒしてるんやろ、学校きいひんのはトーコーキョヒみたいなもんなんやろ」
とか大声で繰り返され閉口したこともある。彼女は、覚えたての単語を使いたかったのだ。そんな彼女を初めて気の毒だと思ったのは、友人同士だった互いの母親の会話を聞いた時が初めてだ。中学校を卒業した彼女には行き場がなかったようだが、近所では有名な資産家の娘だったので当然家でのんびりするものだと思っていた。それを、
「働きたいいうて困ってるねん。車の免許も欲しがるし・・・ほんまに困ってるねん」。
おばさんの言葉に「大変やなぁ」としか言えず、困惑する母が珍しかった。今思えば、作業所とか、コネで働ける場所を探すこともできたとわかる。でも、30年前の私たちにそういう知恵はなかった。私が不登校で引籠ったり、大学行って留学して、いろんな仕事している間、彼女は何をしていたんだろう・・・。
15年ほど前、私が結婚し中国人の夫を連れて実家の近くに帰ってきたころ、近所で犬の散歩中のHちゃんと会い立ち話になったことがある。
「うちのお兄ちゃんにも誰かいい人いいひんやろか」
「お兄さん、結婚したいん?」
「本人は嫁さんいらんみたいに言うけど、私がいるし気ぃ使こてるねん」
「どんな人がいいの?」
「来てくれるんやったら誰でもいいけど、看護師しかあかん言うてるわ。私がいるさかい普通の人は無理や思てるんやろ。」
「う~ん、誰かいたら声かけるわ。」
「お願いな~。」
切なかった。自分が兄の結婚の邪魔になっていると思う彼女の知性と一般常識が切なかった。
彼女には見た目以上の能力があると知る人は、私以外にもたくさんいるだろう。色んな点で優れた資質を持ち、生きる意欲に満ちていた若き日の彼女に、もっとたくさんの選択肢を提供できる国だってあったかもしれない。たとえこの日本であっても、生まれるのがもう少し遅ければ、もっと自立した人生を歩めたのかも知れない。・・・私は知的障害者の人生の選択肢についてほとんど知らない。ただ、少し彼女を知っているだけ。
Hちゃんはいつ見かけても元気そうだから、彼女の人生を残念だとは思わないけど、本当のところはわからない。私たちはただの幼馴染で、ただのご近所さんに過ぎないんだから。
私には、そんな友達が一人いる。
「Hちゃん、ゆみやで!」
「ああ、ゆえちゃん学校いってるか?」
「うん、○○中学」
「今、どこに住んでんの?」
「実家やで」
「ほな、バスで通てるんか」
「うん」
「頑張りや」
そして信号が変わって、私たちは手を振って別れた。幼馴染ってこんなもんだと思う。近所で会っても会釈しかしない子もいる。でも、彼女はいつも私の最終更新情報を頭の中から引っ張り出して、気遣ってくれる。一見して分る重い知的障害だけど、彼女のコミュニケーション能力、社交術は抜きんでている。小学校が不登校だった娘を気遣い、中学が遠いと知れば引っ越したのかと確認し、実家にいるとわかれば通学手段を聞いてくる。そして、最後はいつも「頑張りや」。以上、数十秒のやりとり。彼女は次に会った時、きっと娘の学校を引っ張り出して会話を繋いでくる。
「中国人と結婚したんやって?国際結婚なんか大丈夫かいな」
「女の子生んだんやって?名前はなんていうの?」
「ゆえちゃんも小学校行ってないんやって?親子そろって登校拒否か」
中には直接話したことのない私の情報もあったりして、近所でどういう噂をされているのか分かったりもする。それでも、彼女は私を見ても誰だかわからない。以前は声をかけると慌てた様子で一目散に逃げていた。だから、彼女に会ったらとにかく自分の名前を告げる。あるとき母と一緒に出会ったことがあり、母も先ず「Hちゃん!ゆみちゃんのママやで!」とやっていた。
彼女の知的障害は外見にもしゃべり方にも一目瞭然だ。私のことも覚えていられない。それでも、私たちはある時期ごく親しい友達だった。少なくとも私は対等の友達のつもりだった。でも、あるとき彼女にそれを否定された。
「あんたは後輩や、私は先輩やし」
確かに、中学生になれば私たちは一つ違いの先輩後輩だった。でも、中学3年間を不登校で過ごした私からすれば、小学校の時の関係しか納得できない。それでも、彼女が通りかかった近所の人に、
「この人、岩堀さんの娘さん実家に帰ってきはったんや、私の付属の後輩やねん」
と言っているのを聞くと、そのまま受け入れるしかないような気になった。
知的障害者と間に普通の友情は成立するかというのは、男と女の間に友情が成立するかというのに似ている。経験のない人にはイメージできないだろうが、経験のある人にとっては自明のことだ。子どもの頃はたまに中学に顔を出した私に寄ってきて、学校のそばの路上で
「あんた、トーコーキョヒしてるんやろ、学校きいひんのはトーコーキョヒみたいなもんなんやろ」
とか大声で繰り返され閉口したこともある。彼女は、覚えたての単語を使いたかったのだ。そんな彼女を初めて気の毒だと思ったのは、友人同士だった互いの母親の会話を聞いた時が初めてだ。中学校を卒業した彼女には行き場がなかったようだが、近所では有名な資産家の娘だったので当然家でのんびりするものだと思っていた。それを、
「働きたいいうて困ってるねん。車の免許も欲しがるし・・・ほんまに困ってるねん」。
おばさんの言葉に「大変やなぁ」としか言えず、困惑する母が珍しかった。今思えば、作業所とか、コネで働ける場所を探すこともできたとわかる。でも、30年前の私たちにそういう知恵はなかった。私が不登校で引籠ったり、大学行って留学して、いろんな仕事している間、彼女は何をしていたんだろう・・・。
15年ほど前、私が結婚し中国人の夫を連れて実家の近くに帰ってきたころ、近所で犬の散歩中のHちゃんと会い立ち話になったことがある。
「うちのお兄ちゃんにも誰かいい人いいひんやろか」
「お兄さん、結婚したいん?」
「本人は嫁さんいらんみたいに言うけど、私がいるし気ぃ使こてるねん」
「どんな人がいいの?」
「来てくれるんやったら誰でもいいけど、看護師しかあかん言うてるわ。私がいるさかい普通の人は無理や思てるんやろ。」
「う~ん、誰かいたら声かけるわ。」
「お願いな~。」
切なかった。自分が兄の結婚の邪魔になっていると思う彼女の知性と一般常識が切なかった。
彼女には見た目以上の能力があると知る人は、私以外にもたくさんいるだろう。色んな点で優れた資質を持ち、生きる意欲に満ちていた若き日の彼女に、もっとたくさんの選択肢を提供できる国だってあったかもしれない。たとえこの日本であっても、生まれるのがもう少し遅ければ、もっと自立した人生を歩めたのかも知れない。・・・私は知的障害者の人生の選択肢についてほとんど知らない。ただ、少し彼女を知っているだけ。
Hちゃんはいつ見かけても元気そうだから、彼女の人生を残念だとは思わないけど、本当のところはわからない。私たちはただの幼馴染で、ただのご近所さんに過ぎないんだから。
私には、そんな友達が一人いる。