相模原で障害者施設殺傷事件が起こって以来、さまざまな場所で障害者の生きる権利が議論されること自体に違和感を覚えていました。そんなことは自明です。国の発展レベルが障害者を支える条件を満たせない場所はいくらでもあるでしょうが、この日本においては議論の余地なんかない、普遍的価値観として合意されていると思っていました。
今回の事件では、抵抗もできないたくさんの人々が、あまりにも残虐に、簡単に殺されてしまったことに大変なショックを受けました。人の助けなしには生きられない弱者の一人としても、たくさんの支援を受けている発達障害児の母としても、大きなショックを受けました。しかし、私が一番傷ついたのは犯人が職員の人たちは殺さずに拘束していたと知った時です。「健常者を拘束する」のは「障害者を殺す」よりうんと危険で面倒なのに、犯人は「障害者」と「健常者」の命を峻別したのだという事実に打ちのめされました。
事件以来落ち込む私に12歳のアスペの娘のかけた言葉が物凄く冷静で驚きました。
「お母さん、こんなことは何度も起こって来たし、いつでもどこかで起こっていることだよ。今回は障害者だっただけ。ユダヤ人だからとか、黒人はとか、ゲイだという理由で殺した方がいいと思う人はきっといっぱいいるよ。たぶん次は移民なんじゃない?本当は殺す理由なんかどうでも良くて、障害者の生きる権利とか関係ないと思う。自分が苦しくて不幸で、上手く生きられなくて、居場所を見つけられない、安心して生きられない人たちが、誰かを攻撃して自己肯定感を得ようとしているだけ。弱者がもっと弱い誰かを探して攻撃してるだけだよ。だから、そんなにショック受けないで。」
娘の言葉に、「ああ、そうなんだ」という気がしました。
障害者だからは理由じゃない。やっぱりそんなことは自明だ。心の中で自分を負け犬だと感じている誰かがいる限り、私たちの社会はもともと安全な場所ではないのだと。すべての人に居場所があり、自己肯定感と安心感があれば、誰も犯人や被害者にならなくていいはずです。目に見える障害を持つ人だけでなく、すべての人に「あなたは唯一無二の大切な存在である」というメッセージを送り続けることが、みんなを救う方法なのだと。とても難しいけど、目指すべきはそんな社会なのだと思います。
今回の事件では、抵抗もできないたくさんの人々が、あまりにも残虐に、簡単に殺されてしまったことに大変なショックを受けました。人の助けなしには生きられない弱者の一人としても、たくさんの支援を受けている発達障害児の母としても、大きなショックを受けました。しかし、私が一番傷ついたのは犯人が職員の人たちは殺さずに拘束していたと知った時です。「健常者を拘束する」のは「障害者を殺す」よりうんと危険で面倒なのに、犯人は「障害者」と「健常者」の命を峻別したのだという事実に打ちのめされました。
事件以来落ち込む私に12歳のアスペの娘のかけた言葉が物凄く冷静で驚きました。
「お母さん、こんなことは何度も起こって来たし、いつでもどこかで起こっていることだよ。今回は障害者だっただけ。ユダヤ人だからとか、黒人はとか、ゲイだという理由で殺した方がいいと思う人はきっといっぱいいるよ。たぶん次は移民なんじゃない?本当は殺す理由なんかどうでも良くて、障害者の生きる権利とか関係ないと思う。自分が苦しくて不幸で、上手く生きられなくて、居場所を見つけられない、安心して生きられない人たちが、誰かを攻撃して自己肯定感を得ようとしているだけ。弱者がもっと弱い誰かを探して攻撃してるだけだよ。だから、そんなにショック受けないで。」
娘の言葉に、「ああ、そうなんだ」という気がしました。
障害者だからは理由じゃない。やっぱりそんなことは自明だ。心の中で自分を負け犬だと感じている誰かがいる限り、私たちの社会はもともと安全な場所ではないのだと。すべての人に居場所があり、自己肯定感と安心感があれば、誰も犯人や被害者にならなくていいはずです。目に見える障害を持つ人だけでなく、すべての人に「あなたは唯一無二の大切な存在である」というメッセージを送り続けることが、みんなを救う方法なのだと。とても難しいけど、目指すべきはそんな社会なのだと思います。