娘はひらがなも数字も完全には書けないLDですが、
この春から全校定員15人の公立中学に通い始めました。
先日、生まれて初めての「試験」に参加したのですが、
その得点が思いのほか高くて吃驚しました。
まあ、本人は試験も点数も大して気にしていなくて、
こんなものだと思っているのでしょうが(笑)。
好きな社会と英語が94点、
好きじゃない国語が79点、
嫌いな数学と理科が40点と15点。
こういう個人情報を私が公開しても、
たぶん娘は怒らないでしょう。
よそのお母さんたちには関心があっても、
自分にとってはどうでもいいことだから(笑)。
WISC-Ⅳなどの発達検査の結果から考えると、
記号や符号はほとんど認識できないはずの娘が、
どのように文字を読んでいるのかは私にも謎です。
試験問題を見ると結構な量の問題文を読んで回答しており、
娘のくせにずいぶん頑張るものだと感心します。
発達障害の子にとって一番大きな障壁は、
「目の前の課題に集中して取り組む」事ですから。
とはいえ、普通の中学へ行っていたとしたら、
こんな結果はあり得なかったと思います。
娘のような子の特性を理解・考慮してくださった、
出題や採点の基準を有難く思います。
各教科、選択問題が多めの構成で、
漢字でなく「ひらがな」でも×じゃなくて△です。
和訳のひらがなが鏡文字でも減点なし、
英作もSやdがひっくり返っても減点1点。
本来は点数にならない答えも評価してもらえて、
傷つくこともモチベーションを損なうこともなく、
娘は試験を受けるという経験が出来ました。
中学の先生方には本当に感謝あるのみです。
我が娘はアスペでLDでディスレクシアで、
4歳で酷い二次障害を発症していましたので、
これまで同世代集団の中には入れませんでした。
就学前の精神科医の判断と私自身の方針の下、
小学校6年間は学校へやらず家で育てました。
重度のアスペで幼児期に二次障害も発症した娘が、
自然に社会的人格を形成するのは難しかったので、
ひたすら安心と自己肯定感の構築に賭けました。
一度壊れた精神を修復するには何年もかかります。
過敏な神経を守る強靭なメンタルと柔軟な発想を育て、
娘が自死念慮に捉われることなく、
無事に思春期を超える事のみを願いました。
正直、勉強などは二の次、三の次で、
読み書きそろばんが出来なくても生きていけると教え、
娘が好きな事だけを支援、評価し、
褒めて褒めて褒め称えて育てました。
娘が知的で賢い子どもなのは生まれつきです。
それは育て方とは関係ない特性のひとつです。
しかし、知性は強みであると同時に弱みでもあります。
脳の機能の一部が欠けた発達障害児の現実は、
人には容易な事が自分には出来ない、
いくら努力しても出来ないというものです。
過敏な神経がもたらす日常的な不快感や嫌悪感。
人前で恥をかき、周囲に迷惑をかけ、
低い評価や批判を受け続けます。
知的であるほどに劣等感や絶望感、
反社会的な憎悪さえも膨らんでいきます。
しかも読み書き計算まで出来ないとなれば、
こんなはずじゃない「優秀な自分」を、
他人に対して証明する方法がありません。
だから、私たちにとってはとりあえず、
勉強なんかどうでもよかったのです。
娘を理解してくれる人たちとだけ関わり、
自前の生存戦略で生き残る覚悟でした。
とはいえ、娘は中学に通い始め、
何がしかのお勉強もしているようです。
学校で勉強を教えてもらえるなんて素敵です。
公教育を受ける機会があるなんて嬉しいです。
娘には大多数の子どもたちとは異なる特性があり、
特別なニーズがあり、特別な配慮を必要とします。
そんな娘に居場所を提供してくださり、
学ぶという体験までさせていただいて、
本当に嬉しくありがたく感じています。
公教育には求められる機能と予算があり、
上質な社会の構成員と優良な労働力を、
廉価に効率的に大量生産しています。
日本の教育制度を否定も批判もしないけど、
自分たちとは関係ないと思っていました。
たった数%の規格外の国民の為に、
公教育があるわけじゃない。
私は潔癖な理想主義者だけど、
現実には柔軟に対応する方です(笑)。
なぜなら私の理想は高すぎて、
全くお話にならないからです(笑)。
最後に、今日もお母さんたちにご提案です。
学校へ行くのはお子さん本人にとって、
「自分の為になることがある」からです。
登校や出席自体は目的に成り得ません。
当然、物事には損得のバランスがあり、
割に合わないことはするべきではないのです。
メリットより負荷の方が大きいなら、
学校へ行く必要はないと考えます。
学校は選択肢の一つであり、
利用できる施設の一つである。
どう利用し、何を期待するか、
それはお子さんご本人の問題です。
私たちが親として出来ることは、
「主体的に学校を利用する」というスタンスを、
しっかり本人に持たせることくらいです。
それが出来ればブレないし。
行けるし。
行けなくても平気だし。
この春から全校定員15人の公立中学に通い始めました。
先日、生まれて初めての「試験」に参加したのですが、
その得点が思いのほか高くて吃驚しました。
まあ、本人は試験も点数も大して気にしていなくて、
こんなものだと思っているのでしょうが(笑)。
好きな社会と英語が94点、
好きじゃない国語が79点、
嫌いな数学と理科が40点と15点。
こういう個人情報を私が公開しても、
たぶん娘は怒らないでしょう。
よそのお母さんたちには関心があっても、
自分にとってはどうでもいいことだから(笑)。
WISC-Ⅳなどの発達検査の結果から考えると、
記号や符号はほとんど認識できないはずの娘が、
どのように文字を読んでいるのかは私にも謎です。
試験問題を見ると結構な量の問題文を読んで回答しており、
娘のくせにずいぶん頑張るものだと感心します。
発達障害の子にとって一番大きな障壁は、
「目の前の課題に集中して取り組む」事ですから。
とはいえ、普通の中学へ行っていたとしたら、
こんな結果はあり得なかったと思います。
娘のような子の特性を理解・考慮してくださった、
出題や採点の基準を有難く思います。
各教科、選択問題が多めの構成で、
漢字でなく「ひらがな」でも×じゃなくて△です。
和訳のひらがなが鏡文字でも減点なし、
英作もSやdがひっくり返っても減点1点。
本来は点数にならない答えも評価してもらえて、
傷つくこともモチベーションを損なうこともなく、
娘は試験を受けるという経験が出来ました。
中学の先生方には本当に感謝あるのみです。
我が娘はアスペでLDでディスレクシアで、
4歳で酷い二次障害を発症していましたので、
これまで同世代集団の中には入れませんでした。
就学前の精神科医の判断と私自身の方針の下、
小学校6年間は学校へやらず家で育てました。
重度のアスペで幼児期に二次障害も発症した娘が、
自然に社会的人格を形成するのは難しかったので、
ひたすら安心と自己肯定感の構築に賭けました。
一度壊れた精神を修復するには何年もかかります。
過敏な神経を守る強靭なメンタルと柔軟な発想を育て、
娘が自死念慮に捉われることなく、
無事に思春期を超える事のみを願いました。
正直、勉強などは二の次、三の次で、
読み書きそろばんが出来なくても生きていけると教え、
娘が好きな事だけを支援、評価し、
褒めて褒めて褒め称えて育てました。
娘が知的で賢い子どもなのは生まれつきです。
それは育て方とは関係ない特性のひとつです。
しかし、知性は強みであると同時に弱みでもあります。
脳の機能の一部が欠けた発達障害児の現実は、
人には容易な事が自分には出来ない、
いくら努力しても出来ないというものです。
過敏な神経がもたらす日常的な不快感や嫌悪感。
人前で恥をかき、周囲に迷惑をかけ、
低い評価や批判を受け続けます。
知的であるほどに劣等感や絶望感、
反社会的な憎悪さえも膨らんでいきます。
しかも読み書き計算まで出来ないとなれば、
こんなはずじゃない「優秀な自分」を、
他人に対して証明する方法がありません。
だから、私たちにとってはとりあえず、
勉強なんかどうでもよかったのです。
娘を理解してくれる人たちとだけ関わり、
自前の生存戦略で生き残る覚悟でした。
とはいえ、娘は中学に通い始め、
何がしかのお勉強もしているようです。
学校で勉強を教えてもらえるなんて素敵です。
公教育を受ける機会があるなんて嬉しいです。
娘には大多数の子どもたちとは異なる特性があり、
特別なニーズがあり、特別な配慮を必要とします。
そんな娘に居場所を提供してくださり、
学ぶという体験までさせていただいて、
本当に嬉しくありがたく感じています。
公教育には求められる機能と予算があり、
上質な社会の構成員と優良な労働力を、
廉価に効率的に大量生産しています。
日本の教育制度を否定も批判もしないけど、
自分たちとは関係ないと思っていました。
たった数%の規格外の国民の為に、
公教育があるわけじゃない。
私は潔癖な理想主義者だけど、
現実には柔軟に対応する方です(笑)。
なぜなら私の理想は高すぎて、
全くお話にならないからです(笑)。
最後に、今日もお母さんたちにご提案です。
学校へ行くのはお子さん本人にとって、
「自分の為になることがある」からです。
登校や出席自体は目的に成り得ません。
当然、物事には損得のバランスがあり、
割に合わないことはするべきではないのです。
メリットより負荷の方が大きいなら、
学校へ行く必要はないと考えます。
学校は選択肢の一つであり、
利用できる施設の一つである。
どう利用し、何を期待するか、
それはお子さんご本人の問題です。
私たちが親として出来ることは、
「主体的に学校を利用する」というスタンスを、
しっかり本人に持たせることくらいです。
それが出来ればブレないし。
行けるし。
行けなくても平気だし。