予定通り、大成功の講義とレッスンとコンサートを終えて、
ボロボロに疲れ果てた病身の母が今夜帰国予定です(*^_^*)
「中国人やロシア人と仕事するのは、本当は気楽な件について」
「やっぱり中国人との仕事はなんとでもなる件」の報告編(笑)。
本来、中国側のカウンターパートは芸術学院の担当教授ですが、
今回は招聘事業の責任者である義弟が、
全行程つきっきりの接待をしてくれたようです。
中国のお家芸である熱烈歓迎パワーを、
余すところなく発揮した義弟は、
日本からの一行を感動させ、
感謝感激の渦に突き落とし、
皆のハートを完全に掌握してしまいました。
まあ、母の特殊な魅力と義弟の並外れた誠実さからして、
今回の結果がこうなることは初めからわかっていました。
かつて若き日の私もそうだったわけですが、
中国人に本気だされたら骨まで熔かされてしまいます。
日本の「おもてなし」が気配りだとすると、
中国の「熱烈歓迎」は未体験レベルの情熱と献身です。
この場合、日本の「おもてなし」の素晴らしさが、
相手を選ばない普遍性と安定性にあるとすると、
中国の方にはある種の前提条件があるかもしれません。
「私たちは貴女を認める」
「私たちは貴女を選ぶ」、
「私たちは貴女を受け入れる」という意思表示。
熱烈歓迎はそれを行動で表現する文化です。
もちろん、母たち一行もしっかりお仕事したようです。
初めて生の邦楽を聴いた観客が、
喜び、感動し、ファンになる。
初めて日本の箏に触れた学生たちが、
嬉々として夢中で練習を始める。
日本の伝統音楽には凄まじい魅力があるし、
伝道者としての母も悪くない人材だと思います。
実のところ母の筝曲家としての全盛期というか、
演奏家生命は30年近く前に終わっています。
箏の演奏家には職業病のようなものがあり、
膝、腰、手首、肘、肩などのどこかが故障して、
40~50代で思うように弾けなくなる人が多いです。
母の場合も40代で右肘を痛め、
随分治療もしましたが悪化の一途で、
一時は本人も周囲も絶望的な気分でした。
それでも、母の場合は引退には至らず、
一番得意だけれど負担も大きい「十七弦箏」の演奏を封印し、
長時間の練習が必要となる難度の高い曲を弾く事を諦め、
身体に負担の少ないスローテンポの楽曲を選んで演奏し、
弟子の指導を通じて音楽を表現するようになりました。
母の海外での評価が高くなったり、
聴衆の反応が明らかに変わってきたのは、
母が自分の演奏に大きな制約を受け入れてからです。
さてさて、かつてロシアで音楽院の教授に、
「敬子は奴隷のように働く」と評された母ですが、
今回も成都で熱血レッスンを展開したようです。
医者だった義父が母の様子を見て、
「こんなに疲れるまでレッスンをさせるなんて、
中国学生には常識も思いやりもない。
何時だって道理を知らず要求ばかりする!」
と激烈なメールを送ってきましたが、
誰かがお箏を弾いて喜んでくれることが、
母にとっての最大の喜びなのです。
中国で教える機会を作った私は、
またしても親孝行してしまいました。
20数年前、モスクワ音楽院でお箏を教え始めた頃、
ピアノやバイオリンを専攻してきた学生たちの、
上達の早さと音楽性には驚愕したそうですが、
伝統楽器の古箏を勉強してきた中国の芸大生たちも、
箏に夢中になってどんどん上達するそうです。
母も72歳で身体は本当にボロボロです。
日本音楽の伝道師としては引退してもらいたいです。
それでも、これからも、いつまでも、
世界中の才能ある若者たちが、
箏の魅力に出会い続けますように!
ボロボロに疲れ果てた病身の母が今夜帰国予定です(*^_^*)
「中国人やロシア人と仕事するのは、本当は気楽な件について」
「やっぱり中国人との仕事はなんとでもなる件」の報告編(笑)。
本来、中国側のカウンターパートは芸術学院の担当教授ですが、
今回は招聘事業の責任者である義弟が、
全行程つきっきりの接待をしてくれたようです。
中国のお家芸である熱烈歓迎パワーを、
余すところなく発揮した義弟は、
日本からの一行を感動させ、
感謝感激の渦に突き落とし、
皆のハートを完全に掌握してしまいました。
まあ、母の特殊な魅力と義弟の並外れた誠実さからして、
今回の結果がこうなることは初めからわかっていました。
かつて若き日の私もそうだったわけですが、
中国人に本気だされたら骨まで熔かされてしまいます。
日本の「おもてなし」が気配りだとすると、
中国の「熱烈歓迎」は未体験レベルの情熱と献身です。
この場合、日本の「おもてなし」の素晴らしさが、
相手を選ばない普遍性と安定性にあるとすると、
中国の方にはある種の前提条件があるかもしれません。
「私たちは貴女を認める」
「私たちは貴女を選ぶ」、
「私たちは貴女を受け入れる」という意思表示。
熱烈歓迎はそれを行動で表現する文化です。
もちろん、母たち一行もしっかりお仕事したようです。
初めて生の邦楽を聴いた観客が、
喜び、感動し、ファンになる。
初めて日本の箏に触れた学生たちが、
嬉々として夢中で練習を始める。
日本の伝統音楽には凄まじい魅力があるし、
伝道者としての母も悪くない人材だと思います。
実のところ母の筝曲家としての全盛期というか、
演奏家生命は30年近く前に終わっています。
箏の演奏家には職業病のようなものがあり、
膝、腰、手首、肘、肩などのどこかが故障して、
40~50代で思うように弾けなくなる人が多いです。
母の場合も40代で右肘を痛め、
随分治療もしましたが悪化の一途で、
一時は本人も周囲も絶望的な気分でした。
それでも、母の場合は引退には至らず、
一番得意だけれど負担も大きい「十七弦箏」の演奏を封印し、
長時間の練習が必要となる難度の高い曲を弾く事を諦め、
身体に負担の少ないスローテンポの楽曲を選んで演奏し、
弟子の指導を通じて音楽を表現するようになりました。
母の海外での評価が高くなったり、
聴衆の反応が明らかに変わってきたのは、
母が自分の演奏に大きな制約を受け入れてからです。
さてさて、かつてロシアで音楽院の教授に、
「敬子は奴隷のように働く」と評された母ですが、
今回も成都で熱血レッスンを展開したようです。
医者だった義父が母の様子を見て、
「こんなに疲れるまでレッスンをさせるなんて、
中国学生には常識も思いやりもない。
何時だって道理を知らず要求ばかりする!」
と激烈なメールを送ってきましたが、
誰かがお箏を弾いて喜んでくれることが、
母にとっての最大の喜びなのです。
中国で教える機会を作った私は、
またしても親孝行してしまいました。
20数年前、モスクワ音楽院でお箏を教え始めた頃、
ピアノやバイオリンを専攻してきた学生たちの、
上達の早さと音楽性には驚愕したそうですが、
伝統楽器の古箏を勉強してきた中国の芸大生たちも、
箏に夢中になってどんどん上達するそうです。
母も72歳で身体は本当にボロボロです。
日本音楽の伝道師としては引退してもらいたいです。
それでも、これからも、いつまでも、
世界中の才能ある若者たちが、
箏の魅力に出会い続けますように!