私は長い間、日本で中絶について語る事を避けてきた。
女性と一般論で語ることなどしないし、
是非を議論することなど絶対にない。

なぜか?

誰が当事者か全く見当がつかないからであり、
中絶経験者が多すぎることを知っているからである。
中学生から立派な家庭の人妻まで、
私の知る妊娠中絶の経験者はあまりにも多い。
私が知ることとなるのは常に悲劇であり、
望まない妊娠に苦しんでいる友人、
過去の経験に今も苦しんでいる友人と、
心の痛みと罪の意識を共有する。
私が、誰かの中絶経験を他言する事は絶対にない。

それでも今、語ろうと思うのは、
男性の責任を糾弾するためでも、
女性の意思による避妊を勧めるためでも、
中絶の是非を語るためでもなく、
産みたければ産める社会を願うからである。

昨年の中絶数は18万1905人であるという。
新生児数が100万3539人であるから、
流産などを考慮したとしても、
妊娠した女性の10人に1人以上が、
人工中絶を選択しているのである。
私たちの社会では、これが当たり前なのだろうか?

確かに、かつては30万件だったというから、
20万件を切ったことは素晴らしいのかもしれない。
でも、イメージしてみて欲しい。
過去10年間で200万人以上の人間が消えたと考えたら?
自分の身の回りで、これからも人間が消え続けると考えたら?
内戦や飢餓でこれだけの人間が消えたらどこの国でも人口動態に影響する。
もちろん、中絶も出産も個人の人生の選択だと認識している。
少子化を食い止めるために中絶を規制するなんて事もあり得ない。

未婚の母、10代の出産、多すぎる子ども、
社会はそういう状況が増えることを望んでいないし、
そんな選択をする愚かな母とその子どもを歓迎しない。
望まない出産によって陥る社会的に悲惨な状況、
生まれた子どもたちの不幸な境遇は、
私たちの社会においては完全に自己責任だ。

でも、もし、私たちの社会が、
未婚の母や子だくさんとなっても、、
教育や就労の機会が失われず、差別もされず、
子どもの養育費や教育費の負担が少なく、
子育て支援が充実していたら、
どれくらいの女性が出産を選べるだろう。
今の現実からしたら夢物語だけど、
すべての出産に対して勇気を認め、敬意をはらう、
そんな未来は絶対ないんだろうか

あなたは、そんな社会的コストを払うくらいなら、
優秀な移民を受け入れた方がよいと考えるだろうか?

人間の命についての個人の認識は多様だ。
受精卵に人間としての権利を認める人も、
出生時に人権が発生するという人もいる。
法律によっては、今日までは堕胎できるが、
明日になったら違法だと言う事もある。

父親にレイプされた女子中生にさえ人工中絶を認めない国もあり、
法を犯してでも、その少女を国外へ逃がそうとするNPOもある。
ある人たちにとって人工中絶は殺人であり、
ある人たちにとっては女性の人権の一部だ。

私は・・・どちらとも言えない。
自分の精神は脆弱で、堕胎には耐えられないとわかっていた。
だから、人生で一度だけ妊娠して、一度だけ出産した。
自分はものすごく幸運だったのだと思っている。
妊娠して恐怖に震える女の子を、
抱きしめて眠った夜がある。
手術を終えて泣き続ける女の子を、
抱きしめて眠った夜がある。
私がささやき続けるのは、
「私の友達はあなただから、
 私にとって大切なのはあなただけ。
 あなた自身だけを大切にして。」
一度だって「私が支えるから産みなよ」と言えたことはない。
私は自分を無罪だとは思えないし、
共犯者であると感じているけれど、
今、生きているその人だけを大切に思う。
痛みや苦しみを忘れて欲しいと願う。

さてさて。すべての妊婦が出産できる状況には程遠いけど、
それは、未来永劫変わらない状況でもないはず。
日本では昨年、18万件を超える人工中絶があった。
今年はどうだろう。