石坂好樹は13歳の私が出会った精神科医である。
彼は文字通り私を生命の危機から救ったから、
一義的には恩人であるのだけれど・・・
今となっては「激動の思春期」を導いてくれた、
我が人生の「師」とでもいう感じ。
ちなみに、彼の最新作がこれ。
販促のつもりでアップしたけど、
なかなか骨のある専門書だから、
あなたに読めるかどうかはわからない。
彼、とても真面目な研究者だから、
興味があったら読んでみて。
私が彼から学んだことは多いけど、
人に伝えていいことなのかどうかはわからない。
精神科の診察室での会話について、
患者側に守秘義務があるとは思わないけど、
私の危機が過ぎ去ったあとで、
先生は私の受けた治療について、
全く当時の治療指針を無視したものだったと語ったから、
本当は問題があるのかもしれない。
なにはともあれ、
私は石坂先生のおかげで、
生き残り、成人し、社会参加も果たしているから、
もう、時効じゃないかと思うんだけど・・・
私を学校から解放してくれたのは石坂先生。
18歳まで命を守ることだけに全力をあげ、
すべての社会的役割と常識から解放してくれた。
私が求められたのは「生きている」ことだけ。
私の苦痛については「気の毒に」って言ってくれて、
お酒飲んでもたばこ吸っても何してもよくて、
いくらでも睡眠薬や安定剤くれて、
激痛から救えなくて申し訳ないけど、
生きていてくれという指示だった。
それでも、ぼんやり休ませてはくれなくて、
色んな本を読むように言われて、
毎週何時間も禅問答みたいな議論してた。
当時の私に満ち満ちていた、
憎しみと恨みと怒りについては、
忘れろとも乗り越えろとも言われなくて、
「昇華してください」と言われていた。
神や信仰についてはたくさん議論したけど、
今ではすべての意味が失われて忘れてしまった。
残った言葉はひとことだけ。
「超常現象を語る一切を退けるように」
このシンプルな指針は物凄くクリアに、
その後の私の人生を決定づけた。
私が受けた治療は教育だったのだと思う。
発達障害と言う言葉のなかった当時、
彼にはその本質がセンスされていた。
「あなたはあなたにしか出来ない事だけをやればいい。
他の人にできることはすべてやってもらえばいい」
私は幻覚や幻聴にも苦しんでいて、
激しい触覚異常は覚せい剤の離脱体験にも似ていた。
どう考えても統合失調症と診断されたはずだけど、
私は一度も精神病の診断を受けたことがない。
暴れまわって泣き叫び、自傷行為も繰り返していたけど、
入院を提案されたこともない。
彼は危ない橋を一緒に渡ってくれて、
私と母は、その危ない橋を渡りきった。
私はこちら側の世界に生還し、
大学へ入り、留学し、仕事もできるようになった。
今では結婚し、子どもを産み、子育てをしている。
闇を逃れて普通の人になった私は、
石坂先生を失望させたかもしれない。
一世一代の大仕事をしてくれたのに、
天才と謳われるような仕事をしなかったから。
私は精神の健康と引き換えに、
異常な執着や集中力を失った。
現世における「幸せ」を望み、
「幸せ」を実感できるようになった。
石坂先生は私の選択を認めてくれて、
私への関心を失ったのだと思う。
石坂好樹は患者にしか興味がない。
精神疾患に苦しむ人々にだけ向けられる、
深い関心と限りない優しさは、
健康な人々の世界に対する無関心の裏返し。
発達障害の診断を下さず、
「ただの天才」として愛し、
自分自身を凡人だと嘆き続けた彼こそ、
病める魂の異常なパワーに魅入られた、
孤高の天才なのだと思う。
彼と対峙した狂人だけが知っている、
本当の天才精神科医。
私が二十歳で大学に入学した時、
石坂先生は私の詩集を出版してくれた。
『鏡の中の風の音』ルガール社、堀川由美
彼に贈られたペンネームを、
私は育てなかった。
罪悪感がほんの少し、
時にチクリと心を刺す。
先生、
心病める人々と対峙するのはとても激しい労働だから、
そろそろ引退して残された時間を研究に使って下さい。
もう、充分たくさん助けたと思うから。
すべての人々を救い続けられるわけじゃないから。
だから、あの頃、何度も言ったでしょう?
弟子を育てなさいって(笑)
育っているんじゃないですか?
彼は文字通り私を生命の危機から救ったから、
一義的には恩人であるのだけれど・・・
今となっては「激動の思春期」を導いてくれた、
我が人生の「師」とでもいう感じ。
ちなみに、彼の最新作がこれ。
販促のつもりでアップしたけど、
なかなか骨のある専門書だから、
あなたに読めるかどうかはわからない。
彼、とても真面目な研究者だから、
興味があったら読んでみて。
私が彼から学んだことは多いけど、
人に伝えていいことなのかどうかはわからない。
精神科の診察室での会話について、
患者側に守秘義務があるとは思わないけど、
私の危機が過ぎ去ったあとで、
先生は私の受けた治療について、
全く当時の治療指針を無視したものだったと語ったから、
本当は問題があるのかもしれない。
なにはともあれ、
私は石坂先生のおかげで、
生き残り、成人し、社会参加も果たしているから、
もう、時効じゃないかと思うんだけど・・・
私を学校から解放してくれたのは石坂先生。
18歳まで命を守ることだけに全力をあげ、
すべての社会的役割と常識から解放してくれた。
私が求められたのは「生きている」ことだけ。
私の苦痛については「気の毒に」って言ってくれて、
お酒飲んでもたばこ吸っても何してもよくて、
いくらでも睡眠薬や安定剤くれて、
激痛から救えなくて申し訳ないけど、
生きていてくれという指示だった。
それでも、ぼんやり休ませてはくれなくて、
色んな本を読むように言われて、
毎週何時間も禅問答みたいな議論してた。
当時の私に満ち満ちていた、
憎しみと恨みと怒りについては、
忘れろとも乗り越えろとも言われなくて、
「昇華してください」と言われていた。
神や信仰についてはたくさん議論したけど、
今ではすべての意味が失われて忘れてしまった。
残った言葉はひとことだけ。
「超常現象を語る一切を退けるように」
このシンプルな指針は物凄くクリアに、
その後の私の人生を決定づけた。
私が受けた治療は教育だったのだと思う。
発達障害と言う言葉のなかった当時、
彼にはその本質がセンスされていた。
「あなたはあなたにしか出来ない事だけをやればいい。
他の人にできることはすべてやってもらえばいい」
私は幻覚や幻聴にも苦しんでいて、
激しい触覚異常は覚せい剤の離脱体験にも似ていた。
どう考えても統合失調症と診断されたはずだけど、
私は一度も精神病の診断を受けたことがない。
暴れまわって泣き叫び、自傷行為も繰り返していたけど、
入院を提案されたこともない。
彼は危ない橋を一緒に渡ってくれて、
私と母は、その危ない橋を渡りきった。
私はこちら側の世界に生還し、
大学へ入り、留学し、仕事もできるようになった。
今では結婚し、子どもを産み、子育てをしている。
闇を逃れて普通の人になった私は、
石坂先生を失望させたかもしれない。
一世一代の大仕事をしてくれたのに、
天才と謳われるような仕事をしなかったから。
私は精神の健康と引き換えに、
異常な執着や集中力を失った。
現世における「幸せ」を望み、
「幸せ」を実感できるようになった。
石坂先生は私の選択を認めてくれて、
私への関心を失ったのだと思う。
石坂好樹は患者にしか興味がない。
精神疾患に苦しむ人々にだけ向けられる、
深い関心と限りない優しさは、
健康な人々の世界に対する無関心の裏返し。
発達障害の診断を下さず、
「ただの天才」として愛し、
自分自身を凡人だと嘆き続けた彼こそ、
病める魂の異常なパワーに魅入られた、
孤高の天才なのだと思う。
彼と対峙した狂人だけが知っている、
本当の天才精神科医。
私が二十歳で大学に入学した時、
石坂先生は私の詩集を出版してくれた。
『鏡の中の風の音』ルガール社、堀川由美
彼に贈られたペンネームを、
私は育てなかった。
罪悪感がほんの少し、
時にチクリと心を刺す。
先生、
心病める人々と対峙するのはとても激しい労働だから、
そろそろ引退して残された時間を研究に使って下さい。
もう、充分たくさん助けたと思うから。
すべての人々を救い続けられるわけじゃないから。
だから、あの頃、何度も言ったでしょう?
弟子を育てなさいって(笑)
育っているんじゃないですか?
