自分にとっては自明なことでも、
多くの人にとってはまだまだ大きな課題だと気付いて、
たまには憂さ晴らしじゃなく、
まじめに読み手を意識して発信する気になった。
私は娘を学校へやってないけど、
それは彼女に合った学校がないから。
彼女には定型発達の集団むきにデザインされた、
学校という空間で過ごすのがあまりにも苦痛で、
しかも得られるものが何もないから。
凄く厳しい言い方だろうけど、
今の学校教育からメリット受けられない子を、
学校に行かせているのは何のためですか?
学校にさえ行っていれば、
なにかいいことがあると信じ切れるなら、
ずいぶん、楽観的だなあと思ってしまう。
本人が学校を好きならともかく、
あの空間に耐えられない子に無理強いするなら、
それなりの後遺症を覚悟した方がいいよ。
脅してるみたいだけど、
後遺症抱えた私からすると、
ただの経験に基づく意見だから。
うちは違うという自信あるならそれもいいけどね。
私は小学校へは行って、
中学と高校へは行かなかったけど、
中高に行かなくて失ったものより、
小学校へ行ったことで失ったものの方がはるかに大きい。
長きにわたって抱えることになったハンディは、
学校に行かなかったせいじゃなく、
小学校に行ったせい。
今では学校に対する恨みもないけど、
そう言えるようになるには何十年もかかった。
自分の子どもが学校へ行ってたら安心ですか?
保健室登校でも、保護者同伴でも、
学校で過ごす時間に意味があると本気で考えていますか?
まあ、定型発達の普通の子が、
何らかの外的要因で不登校になって、
いづれ普通に登校できるという見通しがあるなら、
それも選択肢の一つだと思うけどね。
将来、社会に出られるようにというなら、
なんでこんなにたくさんのひきこもりがいるんだろう?
学校で集団生活することと、
社会に出て生きていけることには、
大した因果関係ないんじゃないか。
学校での集団生活には適応できなくても、
社会には色んな関わり方があるからね、
現実的な戦略立てて、
自立に向けて準備した方がいい。
社会にでて生きていくための力を、
学校がつけてくれるわけじゃない。
とりあえず学校に行くことに、
莫大な時間とエネルギーを掛ける暇があるなら、
もっと本気で自分の子どもを見つめて、
我が子に必要な力を育てればいいのにと思う。
とにかく学校にこだわる育て方を見ると、
学校に行かせないで育てると、
子どもの将来に親が責任持つことになるから、
それが怖いだけじゃないかと思ってしまう。
学校も先生も専門家も、
誰も子どもの将来に責任もってはくれないよ。
人並みの子育てしたのに自立できなかったら、
それは子どもが変だったからだというつもり?
自分は普通の親だけど、子どもが変わってたんだと。
ごめんね。
あなたも苦しんでるんだろうけど、
今日の私は無理やり学校行ってた頃の、
苦痛と絶望がフラッシュバックしてる。
子どもの私が親であるあなたに叫んでる。
本気で自分の子どもの現実を見つめろよって。
あなたにしか救えない。
助けてあげて欲しいよ。
不定形発達の子でも、
学校教育からメリットを受けられる子どもはいる。
その子たちを学校から排除するのは問題外だろう。
でもね、本気で考えて欲しい。
自分の子どもには学校へ行く意味があるのかどうか。
こういうこと書くと、
学校へ行かさなくて将来どうなるのか、
責任持てるのかと言われたりする。
持たないよ。
私は私の子どもにしか責任持てない。
でもね、学校も先生も専門家も責任は持たないよ。
他人は自分の知識や立場を根拠に、
やるべきことやったらそれで終わり。
人に自分の子どものこと責任持てるかと聞く段階で、
あなたはもう思考放棄してると思うよ。
私もね、たくさんの人に支えてもらって子育てしてる。
学校との関わりも含めて、
たくさんの専門家や支援者に囲まれてる。
でもね、この人たちを探して、選んで、
一緒に子育てしてもらってるのは私だからね。
最終的には全部私の責任。
誰にも結果を出してくれなんて思わない。
結果に責任持つのは私と我が子だけに決まってる。
親なんだから、自分の子どもの現実を見つめて、
子どもの苦しみに付き合って、
子どもと一緒に歩くしかないよ。
また、世間を敵に回してるって言われそうだけど、
今日の私は学校に適応できない子どもの側にいるから、
親の立場じゃなくて、40年前の当事者だから、
私の仲間たちには私のような言葉がないから、
残酷だと思っても言わずにはいられない。
助けてあげてよ!
あなたにしか助けられないんだから!
発達障害児をもつ親としての私は、
あなたを否定してるわけじゃない。
一緒にがんばろうと思うだけ。
でもね、今日は私の中の子どもだった私が叫んでる
「助けて!」って。
多くの人にとってはまだまだ大きな課題だと気付いて、
たまには憂さ晴らしじゃなく、
まじめに読み手を意識して発信する気になった。
私は娘を学校へやってないけど、
それは彼女に合った学校がないから。
彼女には定型発達の集団むきにデザインされた、
学校という空間で過ごすのがあまりにも苦痛で、
しかも得られるものが何もないから。
凄く厳しい言い方だろうけど、
今の学校教育からメリット受けられない子を、
学校に行かせているのは何のためですか?
学校にさえ行っていれば、
なにかいいことがあると信じ切れるなら、
ずいぶん、楽観的だなあと思ってしまう。
本人が学校を好きならともかく、
あの空間に耐えられない子に無理強いするなら、
それなりの後遺症を覚悟した方がいいよ。
脅してるみたいだけど、
後遺症抱えた私からすると、
ただの経験に基づく意見だから。
うちは違うという自信あるならそれもいいけどね。
私は小学校へは行って、
中学と高校へは行かなかったけど、
中高に行かなくて失ったものより、
小学校へ行ったことで失ったものの方がはるかに大きい。
長きにわたって抱えることになったハンディは、
学校に行かなかったせいじゃなく、
小学校に行ったせい。
今では学校に対する恨みもないけど、
そう言えるようになるには何十年もかかった。
自分の子どもが学校へ行ってたら安心ですか?
保健室登校でも、保護者同伴でも、
学校で過ごす時間に意味があると本気で考えていますか?
まあ、定型発達の普通の子が、
何らかの外的要因で不登校になって、
いづれ普通に登校できるという見通しがあるなら、
それも選択肢の一つだと思うけどね。
将来、社会に出られるようにというなら、
なんでこんなにたくさんのひきこもりがいるんだろう?
学校で集団生活することと、
社会に出て生きていけることには、
大した因果関係ないんじゃないか。
学校での集団生活には適応できなくても、
社会には色んな関わり方があるからね、
現実的な戦略立てて、
自立に向けて準備した方がいい。
社会にでて生きていくための力を、
学校がつけてくれるわけじゃない。
とりあえず学校に行くことに、
莫大な時間とエネルギーを掛ける暇があるなら、
もっと本気で自分の子どもを見つめて、
我が子に必要な力を育てればいいのにと思う。
とにかく学校にこだわる育て方を見ると、
学校に行かせないで育てると、
子どもの将来に親が責任持つことになるから、
それが怖いだけじゃないかと思ってしまう。
学校も先生も専門家も、
誰も子どもの将来に責任もってはくれないよ。
人並みの子育てしたのに自立できなかったら、
それは子どもが変だったからだというつもり?
自分は普通の親だけど、子どもが変わってたんだと。
ごめんね。
あなたも苦しんでるんだろうけど、
今日の私は無理やり学校行ってた頃の、
苦痛と絶望がフラッシュバックしてる。
子どもの私が親であるあなたに叫んでる。
本気で自分の子どもの現実を見つめろよって。
あなたにしか救えない。
助けてあげて欲しいよ。
不定形発達の子でも、
学校教育からメリットを受けられる子どもはいる。
その子たちを学校から排除するのは問題外だろう。
でもね、本気で考えて欲しい。
自分の子どもには学校へ行く意味があるのかどうか。
こういうこと書くと、
学校へ行かさなくて将来どうなるのか、
責任持てるのかと言われたりする。
持たないよ。
私は私の子どもにしか責任持てない。
でもね、学校も先生も専門家も責任は持たないよ。
他人は自分の知識や立場を根拠に、
やるべきことやったらそれで終わり。
人に自分の子どものこと責任持てるかと聞く段階で、
あなたはもう思考放棄してると思うよ。
私もね、たくさんの人に支えてもらって子育てしてる。
学校との関わりも含めて、
たくさんの専門家や支援者に囲まれてる。
でもね、この人たちを探して、選んで、
一緒に子育てしてもらってるのは私だからね。
最終的には全部私の責任。
誰にも結果を出してくれなんて思わない。
結果に責任持つのは私と我が子だけに決まってる。
親なんだから、自分の子どもの現実を見つめて、
子どもの苦しみに付き合って、
子どもと一緒に歩くしかないよ。
また、世間を敵に回してるって言われそうだけど、
今日の私は学校に適応できない子どもの側にいるから、
親の立場じゃなくて、40年前の当事者だから、
私の仲間たちには私のような言葉がないから、
残酷だと思っても言わずにはいられない。
助けてあげてよ!
あなたにしか助けられないんだから!
発達障害児をもつ親としての私は、
あなたを否定してるわけじゃない。
一緒にがんばろうと思うだけ。
でもね、今日は私の中の子どもだった私が叫んでる
「助けて!」って。