発達障害の特性のひとつに、
人に執着を持てないというのがあって、
我が家は親子3人とも当てはまっているけど、
全然、困ることなんかないよ。
人に執着を持てなくても、
人を愛することはできると、
この人生で証明できると思っている。
自分の産んだ娘をこんなに愛せるなんて、
種の存続を求める本能は物凄いと思う。
彼女の痛みも困惑も、
私のものではないけれど、
私が彼女のために涙を流す。
自分の幼少期や思春期に体験した苦痛、
自殺してしまった友達の苦痛、
その後悔を全部帳消しにするくらい、
守って、甘やかして、かわいがったら、
どんな人間が出来上がるのか実験中。
娘の存在は私を完全に魅了している。
これはね、とっても大きな愛だよ。
夫はとんでもない無頼派野郎。
私にはお金も時間も使ってくれないし、
精神的にも引き受けてくれない。
でも、私を選んで結婚してくれて、
私に娘を産ませてくれたことは、
いつも忘れず感謝している。
私が妊娠や出産、子育てで働けなかった頃は、
経済的にも責任もってくれたし。
彼に執着があるかというとないだろうけど、
好きなことしてて欲しいと思うし、
幸福感持って楽しく生きてて欲しいと願う。
たまに会えば、可愛いと思うしね。
これもね、結構深い愛だと思うよ。
成人した人間が満ち足りた状態でいるためには、
自分に強い性的関心を持つ異性が必要らしい。
発達障害の人たちの中には、
セックス依存で人生破綻させる人もいるけど、
それは、直接的な身体への刺戟でしか、
自分を確認できないからなんだって。
私たちは自分の快楽に奉仕する人間を、
見つけることが得意過ぎるかもしれないね。
そこに愛があるのかというと、
世間でいう恋愛感情はないかもしれない。
だから、定型の異性を傷つけることもある。
でもね、誰かと繋がって癒してあげようという、
やさしい気持ちで時間を共有することはできるよね。
心やさしい娼婦のように、
心やさしいジゴロのように、
これも、人間愛だと思うよ。
今の私はね、
とっても人間に興味がある。関心がある。
これは、訓練で身に付いたものだけど、
人間に対する興味や関心を、
娘の中に育てるのにも成功しつつある。
鉄道オタクやアニメオタクと同じかもしれないけど、
対象を生きた人間に設定することはできる。
私は人間が大好きだと宣言できる。
常にたくさんの人たちの幸せを願っているし、
人と時間を共有できる喜びもある。
愛することで愛されて、
人から受け取ったエネルギーを溜めて、
自分も誰かにエネルギーを渡す。
愛なんていくらでもあるし、
いくらでも愛せる。
出会う人たちみんなを人間として愛せるよ。
だんだん、博愛になって来たな(笑)。
私の中にはもう一つ、
決定的な愛の形がある。
13歳のときに出会った17歳の少年を、
神と崇めるほどに敬愛してきた愛。
この世にこんなに純粋な人間が存在するという感動が、
私の人間に対する愛と信頼の始まり。
少年のご母堂様には「偶像崇拝」と切り捨てられたけど、
私にとって彼はまさにアイドル。
犬が主人を愛するように慕ってきた。
これは運でしか得られない出会いだけど、
最近になってもう一人、
その純粋さが私の魂を揺さぶる人間を見つけた。
短い人生で二度もこんな魂に出会えるなんて、
幸運過ぎて恐ろしいくらい。
私には執着はないかもしれないけど、
魂から湧き上がる、深い深い愛があるよ。
さてさて、人に執着できないといわれる私たちだけど、
私は自分のこと愛の塊だと思っている。
家族や友人たちにすごく愛されてると感じてきたから、
愛なんて売るほどあるし。
発達障害の子どもには浴びせかけるほどの愛を与えよう。
人に関心持てないあなたも、試しに人を大切にしてみよう。
相手に期待したり求めるのをやめて、
誰かを大切に思うだけで自分の心が愛で満ちてくるよ。
いいじゃないか、執着なんて出来なくたって。
発達障害だからこその、愛の形もあると思うよ。
人に執着を持てないというのがあって、
我が家は親子3人とも当てはまっているけど、
全然、困ることなんかないよ。
人に執着を持てなくても、
人を愛することはできると、
この人生で証明できると思っている。
自分の産んだ娘をこんなに愛せるなんて、
種の存続を求める本能は物凄いと思う。
彼女の痛みも困惑も、
私のものではないけれど、
私が彼女のために涙を流す。
自分の幼少期や思春期に体験した苦痛、
自殺してしまった友達の苦痛、
その後悔を全部帳消しにするくらい、
守って、甘やかして、かわいがったら、
どんな人間が出来上がるのか実験中。
娘の存在は私を完全に魅了している。
これはね、とっても大きな愛だよ。
夫はとんでもない無頼派野郎。
私にはお金も時間も使ってくれないし、
精神的にも引き受けてくれない。
でも、私を選んで結婚してくれて、
私に娘を産ませてくれたことは、
いつも忘れず感謝している。
私が妊娠や出産、子育てで働けなかった頃は、
経済的にも責任もってくれたし。
彼に執着があるかというとないだろうけど、
好きなことしてて欲しいと思うし、
幸福感持って楽しく生きてて欲しいと願う。
たまに会えば、可愛いと思うしね。
これもね、結構深い愛だと思うよ。
成人した人間が満ち足りた状態でいるためには、
自分に強い性的関心を持つ異性が必要らしい。
発達障害の人たちの中には、
セックス依存で人生破綻させる人もいるけど、
それは、直接的な身体への刺戟でしか、
自分を確認できないからなんだって。
私たちは自分の快楽に奉仕する人間を、
見つけることが得意過ぎるかもしれないね。
そこに愛があるのかというと、
世間でいう恋愛感情はないかもしれない。
だから、定型の異性を傷つけることもある。
でもね、誰かと繋がって癒してあげようという、
やさしい気持ちで時間を共有することはできるよね。
心やさしい娼婦のように、
心やさしいジゴロのように、
これも、人間愛だと思うよ。
今の私はね、
とっても人間に興味がある。関心がある。
これは、訓練で身に付いたものだけど、
人間に対する興味や関心を、
娘の中に育てるのにも成功しつつある。
鉄道オタクやアニメオタクと同じかもしれないけど、
対象を生きた人間に設定することはできる。
私は人間が大好きだと宣言できる。
常にたくさんの人たちの幸せを願っているし、
人と時間を共有できる喜びもある。
愛することで愛されて、
人から受け取ったエネルギーを溜めて、
自分も誰かにエネルギーを渡す。
愛なんていくらでもあるし、
いくらでも愛せる。
出会う人たちみんなを人間として愛せるよ。
だんだん、博愛になって来たな(笑)。
私の中にはもう一つ、
決定的な愛の形がある。
13歳のときに出会った17歳の少年を、
神と崇めるほどに敬愛してきた愛。
この世にこんなに純粋な人間が存在するという感動が、
私の人間に対する愛と信頼の始まり。
少年のご母堂様には「偶像崇拝」と切り捨てられたけど、
私にとって彼はまさにアイドル。
犬が主人を愛するように慕ってきた。
これは運でしか得られない出会いだけど、
最近になってもう一人、
その純粋さが私の魂を揺さぶる人間を見つけた。
短い人生で二度もこんな魂に出会えるなんて、
幸運過ぎて恐ろしいくらい。
私には執着はないかもしれないけど、
魂から湧き上がる、深い深い愛があるよ。
さてさて、人に執着できないといわれる私たちだけど、
私は自分のこと愛の塊だと思っている。
家族や友人たちにすごく愛されてると感じてきたから、
愛なんて売るほどあるし。
発達障害の子どもには浴びせかけるほどの愛を与えよう。
人に関心持てないあなたも、試しに人を大切にしてみよう。
相手に期待したり求めるのをやめて、
誰かを大切に思うだけで自分の心が愛で満ちてくるよ。
いいじゃないか、執着なんて出来なくたって。
発達障害だからこその、愛の形もあると思うよ。