中国留学
中国留学の目的
なぜ中国に留学したのか。これにはいくつかのわけがある。私の卒業した1993年は、バブルが崩壊し初めて内定取り消しの出た年だったが、世間はまだまだ売り手市場で、就職できなかったわけでもない。その頃の私は、ようやく研究するということが分かって研究対象が面白くなり始め、大学院進学を考えていたが、4年生の春に大学内で人間関係に絡む問題が発生し、久しぶりの絶不調で家に引きこもってしまった。とりあえず経験の為に就職活動でもしてみようかと思った時、普段あまり私の生活や人生について口を出さない父が「うちの娘は会社勤めの社会人や、他家の嫁として勤まるようには育てていない。中小企業がどれだけのコストをかけて、必死で人探しをしているか分かっているのか。由美のような学生に騙されて採用してしまうのが、会社にとってどれほどのダメージか分かるか」などと言い出した。それでは、どうすればいいのだ。
私はたくさん考えた。そして、いくつかの理由で中国への留学を決めた。先ず、私の勉強していた古代歌謡には中国の少数民族の歌に近いものがあるから、これを研究して帰ってくれば、有利な条件で大学院に入れるかも知れない。まあ、そこまで勉強が成功しなかったとしても、これからは中国の時代だから、とりあえず語学さえできれば一生食いっぱぐれがないだろう。最後に、常に自分自身として生きる事に疑問を感じ苦しんでいた私は、それまでに出会った華僑たちの、ゆるぎないアイデンティティーに興味があった。海外を旅してきた経験から、どこへ行ってもチャイナタウンがあり、国籍は様々でも自分をチャイニーズだと考えるバイタリティあふれる人々がいることを、とても不思議だと感じていた。というわけで、滑っても転んでも何かはつかめる外れなしの留学ができると、引きこもりの布団の中で決断したのである。
実際に中国へ留学したのは大学を卒業した年の夏だ。留学前の私は、今思えば全く中国語なんて出来なかった。たいして出来ないと知っているつもりだったが、行ってみて本当に出来ないのだと思い知ることになった。大学卒業間近の頃、例の「予習してこないと単位をやらない」という英語の先生に学内で会った。卒業後の進路を聞かれたので中国に留学すると言うと、ご自身留学経験のあった先生は、どのくらい中国語ができるのかと尋ねられた。「英語に比べれば全然できませんが・・・」と答えると、顔色を変えて絶句された。私の無謀な留学計画も、何でも自由にさせてくれる家族の中では反対もされなかったが、多少ものの分かる妹は、「お姉ちゃんってチャレンジャーだったんだね」と呆れていた。そんなこんなで、例の小学校卒業記念の国語辞典、英和辞典、和英辞典、日中辞典、中日辞典とたくさんの辞書をスーツケースに入れ、私は一度も行ったことのない国、中国へ旅立った。
中国語学習
私は最初の4週間、北京中央戯劇学院の夏季語学コースで軽い会話のクラスに入った。これは、異文化体験が目的の、日常会話の基礎の基礎を楽しむ程度の内容だったが、さっそく、自分は発音が悪く、特に四声という中国語の意味をあらわす抑揚が特別悪く、他の日本人学生と比べると、漢字が書けない生徒であることが判明した。そして、ついに9月から、福建省アモイ市郊外にある華僑学校、集美語言文化学校の初級漢語クラスに入学したのである。この学校を選んだのにもいくつか理由があった。一つ目は日本人がいないという情報があったこと。これは行ってみると同じ理由でやってきた猛者たちが集っていて、なかなか個性的な日本人に会うことができておもしろかった。二つ目は当時アモイには日本からの直行便がなく、過保護なうちの親も助けに来られないだろうと思ったこと。三つ目は学費が年間200ドルと格段に安く、田舎で生活費も安そうで、学生時代のアルバイトでためたお金で楽に暮らせると思ったこと。最後に、この学校が教育局ではなく華僑弁公室に属する、東南アジアを中心とした海外華僑の子弟を中国国内で教育するための華僑学校であったことである。ここでの体験は1冊の本になるほど貴重なものであったが、今はここでの学習体験だけに絞って話を進める事にする。
この学校で私は中国語学習経験のない学生向けの、発音から始まる初級クラスに入った。今では大学になってしまったこの学校も、当時は小学生から受け入れていて、11歳の少年や、中高生とも机を並べる事になった。そして、衝撃を受けることになる。私は大学時代に学んだ「教科書をすべて書き写す勉強法」で授業に臨んだため、膨大な時間を机の前で過ごすことになるのだが、タイやインドネシア、フィリピンからきた華僑の子どもたちに、全く歯が立たないのである。授業はすべて中国語であったので、私には三分の1くらいしか内容が分からない。一方、彼らはたいした勉強もせずに、用務員の中国人と遊んだり、テレビドラマをみたり、海賊版の漫画を読んで、どんどん力をつけて行く。宿題はしてこないのに、先生と冗談を言い合って笑う子どもたちの姿に、私は焦った。そして、学校の先生にアルバイトで家庭教師を頼むことにした。
授業料は日本円で1時間200円程度であったが、バブル時代の日本の進学塾で、時給1万円のバイトをしていた私は、「ここで使わずにいつ使う!」という勢いで家庭教師を頼んだ。1日4時間。先生の体力や集中力が持たないことは分かっていたので、2人の先生に毎日2時間ずつ、週6日の家庭教師を手配した。教科書を読んでもらい口真似をする、片言で雑談をしては会話中の単語を中国語で書いてもらう、などなど、どんどん教科書も消化した。授業の方は半分くらいわかるようになると「私はもっと上のクラスで勉強したい」と交渉し、すぐに初級2班へ移った。初級2班の内容も半分くらいわかるようになると、中級1班へ。私は結局1年間に5回のとび級をして、最後は高級班で勉強することになるのである。しかし、このような無理なとび級を重ね、教科書全部書き写し法も堅持していた私は、数か月もすると病気になった。腱鞘炎が背中まで来て、激痛で座っていることもできなくなるのである。
ここからが本当に言いたいことだ。私は鉛筆を持つことも辞書を引くこともできなくなった。それで、必然的に耳と目と口だけに集中する事になったのである。ソファーに沈み込んで痛みに耐えながら勉強しようとする私に、家庭教師の先生たちは「あなたの奮闘精神に深い感銘を受ける」などと言っていたが、それこそが私向きの勉強だったのである。教科書を読んでもらい、文法などの説明を受け、辞書を代わりに引いてもらい、眺める。問題を出してもらい、答える。大切なことは書き出してもらい、ベッドで眺める。とにかく、全部やってもらって、机に向かうことはなくなったわけだが、私の勉強は滞りなく進んだ。苦手な書きとりを除いたことで、授業はスピードを増した。試験などに通るためには、書けなければいけない時期は来るのだが、勉強をするということにおいて、書くことが大きな比重を占める必要はない。少なくとも、それが苦手とすることであるならば、絶対やらなければならないわけではないと思う。そして、作業としての勉強を自分でやらなくても、人に助けてもらえば効果は上がると言いたいのである。
さて、書けなくても仕事で使えるかどうかについて少しだけ意見を述べたい。中国で仕事をしていた時期、実のところ私は中国語ワープロのソフトで中国語を書くことができた。また、当たり前のことだが、話せることは辞書を引けば、時間はかかるが書けるものである。しかし、それより何より、中国で仕事をするなら、周りは中国人だらけであるので、自分で正式な中国語の文章を書く事はほとんどないのである。内容を指示して、書いてもらった文章をチェックできればよいのであって、手書きの文章を書けなければいけない場面など、私にはほとんど想定できない。
中国留学の目的
なぜ中国に留学したのか。これにはいくつかのわけがある。私の卒業した1993年は、バブルが崩壊し初めて内定取り消しの出た年だったが、世間はまだまだ売り手市場で、就職できなかったわけでもない。その頃の私は、ようやく研究するということが分かって研究対象が面白くなり始め、大学院進学を考えていたが、4年生の春に大学内で人間関係に絡む問題が発生し、久しぶりの絶不調で家に引きこもってしまった。とりあえず経験の為に就職活動でもしてみようかと思った時、普段あまり私の生活や人生について口を出さない父が「うちの娘は会社勤めの社会人や、他家の嫁として勤まるようには育てていない。中小企業がどれだけのコストをかけて、必死で人探しをしているか分かっているのか。由美のような学生に騙されて採用してしまうのが、会社にとってどれほどのダメージか分かるか」などと言い出した。それでは、どうすればいいのだ。
私はたくさん考えた。そして、いくつかの理由で中国への留学を決めた。先ず、私の勉強していた古代歌謡には中国の少数民族の歌に近いものがあるから、これを研究して帰ってくれば、有利な条件で大学院に入れるかも知れない。まあ、そこまで勉強が成功しなかったとしても、これからは中国の時代だから、とりあえず語学さえできれば一生食いっぱぐれがないだろう。最後に、常に自分自身として生きる事に疑問を感じ苦しんでいた私は、それまでに出会った華僑たちの、ゆるぎないアイデンティティーに興味があった。海外を旅してきた経験から、どこへ行ってもチャイナタウンがあり、国籍は様々でも自分をチャイニーズだと考えるバイタリティあふれる人々がいることを、とても不思議だと感じていた。というわけで、滑っても転んでも何かはつかめる外れなしの留学ができると、引きこもりの布団の中で決断したのである。
実際に中国へ留学したのは大学を卒業した年の夏だ。留学前の私は、今思えば全く中国語なんて出来なかった。たいして出来ないと知っているつもりだったが、行ってみて本当に出来ないのだと思い知ることになった。大学卒業間近の頃、例の「予習してこないと単位をやらない」という英語の先生に学内で会った。卒業後の進路を聞かれたので中国に留学すると言うと、ご自身留学経験のあった先生は、どのくらい中国語ができるのかと尋ねられた。「英語に比べれば全然できませんが・・・」と答えると、顔色を変えて絶句された。私の無謀な留学計画も、何でも自由にさせてくれる家族の中では反対もされなかったが、多少ものの分かる妹は、「お姉ちゃんってチャレンジャーだったんだね」と呆れていた。そんなこんなで、例の小学校卒業記念の国語辞典、英和辞典、和英辞典、日中辞典、中日辞典とたくさんの辞書をスーツケースに入れ、私は一度も行ったことのない国、中国へ旅立った。
中国語学習
私は最初の4週間、北京中央戯劇学院の夏季語学コースで軽い会話のクラスに入った。これは、異文化体験が目的の、日常会話の基礎の基礎を楽しむ程度の内容だったが、さっそく、自分は発音が悪く、特に四声という中国語の意味をあらわす抑揚が特別悪く、他の日本人学生と比べると、漢字が書けない生徒であることが判明した。そして、ついに9月から、福建省アモイ市郊外にある華僑学校、集美語言文化学校の初級漢語クラスに入学したのである。この学校を選んだのにもいくつか理由があった。一つ目は日本人がいないという情報があったこと。これは行ってみると同じ理由でやってきた猛者たちが集っていて、なかなか個性的な日本人に会うことができておもしろかった。二つ目は当時アモイには日本からの直行便がなく、過保護なうちの親も助けに来られないだろうと思ったこと。三つ目は学費が年間200ドルと格段に安く、田舎で生活費も安そうで、学生時代のアルバイトでためたお金で楽に暮らせると思ったこと。最後に、この学校が教育局ではなく華僑弁公室に属する、東南アジアを中心とした海外華僑の子弟を中国国内で教育するための華僑学校であったことである。ここでの体験は1冊の本になるほど貴重なものであったが、今はここでの学習体験だけに絞って話を進める事にする。
この学校で私は中国語学習経験のない学生向けの、発音から始まる初級クラスに入った。今では大学になってしまったこの学校も、当時は小学生から受け入れていて、11歳の少年や、中高生とも机を並べる事になった。そして、衝撃を受けることになる。私は大学時代に学んだ「教科書をすべて書き写す勉強法」で授業に臨んだため、膨大な時間を机の前で過ごすことになるのだが、タイやインドネシア、フィリピンからきた華僑の子どもたちに、全く歯が立たないのである。授業はすべて中国語であったので、私には三分の1くらいしか内容が分からない。一方、彼らはたいした勉強もせずに、用務員の中国人と遊んだり、テレビドラマをみたり、海賊版の漫画を読んで、どんどん力をつけて行く。宿題はしてこないのに、先生と冗談を言い合って笑う子どもたちの姿に、私は焦った。そして、学校の先生にアルバイトで家庭教師を頼むことにした。
授業料は日本円で1時間200円程度であったが、バブル時代の日本の進学塾で、時給1万円のバイトをしていた私は、「ここで使わずにいつ使う!」という勢いで家庭教師を頼んだ。1日4時間。先生の体力や集中力が持たないことは分かっていたので、2人の先生に毎日2時間ずつ、週6日の家庭教師を手配した。教科書を読んでもらい口真似をする、片言で雑談をしては会話中の単語を中国語で書いてもらう、などなど、どんどん教科書も消化した。授業の方は半分くらいわかるようになると「私はもっと上のクラスで勉強したい」と交渉し、すぐに初級2班へ移った。初級2班の内容も半分くらいわかるようになると、中級1班へ。私は結局1年間に5回のとび級をして、最後は高級班で勉強することになるのである。しかし、このような無理なとび級を重ね、教科書全部書き写し法も堅持していた私は、数か月もすると病気になった。腱鞘炎が背中まで来て、激痛で座っていることもできなくなるのである。
ここからが本当に言いたいことだ。私は鉛筆を持つことも辞書を引くこともできなくなった。それで、必然的に耳と目と口だけに集中する事になったのである。ソファーに沈み込んで痛みに耐えながら勉強しようとする私に、家庭教師の先生たちは「あなたの奮闘精神に深い感銘を受ける」などと言っていたが、それこそが私向きの勉強だったのである。教科書を読んでもらい、文法などの説明を受け、辞書を代わりに引いてもらい、眺める。問題を出してもらい、答える。大切なことは書き出してもらい、ベッドで眺める。とにかく、全部やってもらって、机に向かうことはなくなったわけだが、私の勉強は滞りなく進んだ。苦手な書きとりを除いたことで、授業はスピードを増した。試験などに通るためには、書けなければいけない時期は来るのだが、勉強をするということにおいて、書くことが大きな比重を占める必要はない。少なくとも、それが苦手とすることであるならば、絶対やらなければならないわけではないと思う。そして、作業としての勉強を自分でやらなくても、人に助けてもらえば効果は上がると言いたいのである。
さて、書けなくても仕事で使えるかどうかについて少しだけ意見を述べたい。中国で仕事をしていた時期、実のところ私は中国語ワープロのソフトで中国語を書くことができた。また、当たり前のことだが、話せることは辞書を引けば、時間はかかるが書けるものである。しかし、それより何より、中国で仕事をするなら、周りは中国人だらけであるので、自分で正式な中国語の文章を書く事はほとんどないのである。内容を指示して、書いてもらった文章をチェックできればよいのであって、手書きの文章を書けなければいけない場面など、私にはほとんど想定できない。