コミュニケーション能力は向上する
勉強法などいいから、友達を作る「技」について知りたいという人がいるだろう。これは真剣に書くと本1冊分になってしまうくらいの話で、実は勉強法に先行して書きかけたのだが、克服の過程を書くのは、問題のあった時期の自分を振り返ることでもあり、あまりに苦しい話で書き続ける事が出来なかった。ただ、ほんの少しだけヒントを上げておく。
1. 人間に興味と愛情を持つ。先ずは無理やりにでも他人に関心をもつことである。
2. とにかく相手が話し出したら、興味を持って聞く。つまらないと思う話でも、表情や相槌のタイミングに気を配って、全身全霊で聞く。
3. 人と目があったら笑顔を向ける。道を歩いていても、トイレの中でもいつも機嫌のよい自分を演じて、表情を作っていれば、いずれそれが自然な自分自身になる。
4. 舐められることや馬鹿にされる事を楽しむ。自分の能力の欠損を、ボケを演じているのだと思い込んで、臆せず人と付き合うことである。
とはいえ、実行するには日々修業を積むような努力がいるので、その努力ができるだけの基礎人間力が必要とされる。これは、愛されることと愛することでしかつかない。子どもを持っている人は、子どもが無条件で愛されていると実感できるような愛し方をして欲しい。愛しているかどうかが問題なのではなく、日々、はっきり相手に伝わるように、言葉にして愛して欲しい。一方で、ある種の自閉症スペクトラムの子どもは、自分も娘もそうだからわかるのだが、ぶっちゃけて言ってしまえば、人間などに興味をもてない。愛するなんて不可能に思える。愛するべきだと思われる人々を前にしても、愛せない自分に苦しむ。こんな子どもを愛するのは難しい。それでも、愛せる対象は探さなければならない。一人愛せれば、人間を愛せる可能性は無限に広がっていく、という経験が私にはある。私にしても、その一人が見つかったことが決定的に幸運だった。
私には、13歳の夏、その決定的な出会いが訪れた。それは、傷つき果てた一人の少年との出会いだった。彼は私の母の箏の師匠の息子で、4歳年上の17歳。高校を中退し髪を伸ばしてハードロックのバンドを組み、親とも世間とも対立していた。彼と会うまで、私は人間というものを愛することが出来なかった。家族を含め、自分を愛してくれる人々を愛そうと努力したが、人間そのものに対する憎しみと怒りを超える事が出来なかった。私は自分を傷つけた人間社会と人間を憎み、人間である自分自身を憎み、人間を愛せない自分を憎んでいた。彼と会った時、私は傷ついた精神を見つけた。深く深く傷つくことが出来るだけの感受性と、その痛みに対して怒りを持って臨む激しいエネルギーを見つけた。絶望と呼べるような闇と、闇と戦う強い意志が少年の中に共存していた。私は初めて、自分の外側に愛するに値する他人を見たのである。
私の彼に対する愛は、少女が少年を愛するようなものではなく、狂女が神を愛するような愛だった。京都と東京に距離が離れていて幸いだったが、私は文字通り彼のストーカーになり、昼夜を問わず毎日、何時間も電話をかけ続け、苦しい、死にたいと、自分の痛みを投げかけ続けた。今思っても奇跡なのだが、たった17歳の少年だった彼は、その電話を何年間も受け続けてくれた。彼には、本当に深く傷ついたものが持つ、果てしない優しさと強い精神力があった。彼と出会えたことは、本当に幸運だった。どんな感謝の言葉でもたりない。ただ、生きて、死ぬまで生き続けて、誰かの為になりたいと思うような感謝が彼に対してある。彼を通して、私は人間に対する信頼を初めて得たのである。
一人、人間を愛することが出来た事は、私にとっては決定的な変化だった。木や空や海や風、鳥や犬を愛せるように、人間も愛することが出来る。私は自分以外の人間に興味を持ち、愛する努力をするようになった。それでも、何度も揺り返しはきた。自分は人間を利用しているだけだ。自分が生きるために、周りの人間を利用するために、愛される為に愛しているふりをしているだけだと、何度も自己嫌悪に落ち込んだ。それでも、一度歩き出した以上、後戻りはできない。私は自己嫌悪に呻きながらも、愛そうとし、愛し続けた。
レポートと卒論について
さて、話を勉強に戻そう。大学生活での最大の問題は、専門科目であった。私は「本を読むのが好きだから国文学科にしとこうか」という母の思いつきで、国文を受験し合格していたのである。文学を研究するということが理解できなかった私は、授業に出て先生の話を聞いては「そうじゃないと思う」を心の中で連発しており、レポートを出せと言われても、何を書けば単位がもらえるのかわからなかった。それでも、セミナー形式で発表をさせる授業があり、「本文を読む」為に、言葉の意味を調べたり、古い参考図書から解釈を探したり、近現代の論文から評価を集めたりして、「これだけ調べました」と列挙した上で、「妥当と思われる解釈をまとめる」事が求められていると、かなり時間をかけて理解した。そして、さらなる時間をかけて、「先生が最近書いた論文を探し、その方向性に沿って意見をまとめるのだ」と気付いた。結局、単位をとる方法を理解するのに2年かかり、その間に散々単位を落としてしまった。3年と4年の2年間は、フル登録と言われる一単位も落とせない状況で、ゼミや卒論を乗り切ったのである。
私の卒業論文について、無事な卒業につながったと思われる点があるので、ある種の人々の参考のために書いておこう。私は自分でも詩を書いていて、小説などには自分なりの読み方があった。現代文はもちろん、江戸時代や中世、古代の作品を見ても、自分なりの読み方、感じ方がどうしても顔をだす。バランスのとれた卒論を体裁よくまとめる、いわゆる研究のようなことにならないのだ。そこで、万葉集のゼミに入り、古事記・日本書紀のなかに納められた「古代歌謡」なるものを卒論のテーマにした。これくらい古くなると外国語のようなもので、調べないと何も書けない。ある程度の距離と謙虚さを持って接する事が出来たのである。思い入れの激しすぎる人は、とことん極めて研究者になるなら別だが、自分の関心から対象を少しずらしてテーマを決めてみるといい。所詮は学部の卒業論文である。こう言ってしまっては身も蓋もないが、意地を張ってプロである教授と戦って、留年、退学までしなくてもいいだろう。私がこのような事を書くと、昔の友人たちはとてもがっかりすると思う。でも、かつての私たちのような青年たちを、救わなくてはいけない。私も丸くなったのだ。私が大学を4年で卒業できたことには、これらのアプローチ方法に加えて、ゼミの担当教授のお人柄が大きく関わっている。今思えば、本筋と離れた思いこみの激しかった私を、それこそ個性を認めて忍耐強く関わり続けて下さったのだ。
同志社大学文学部文化学科国文学専攻での4年間は、先生方には本当に申し訳ない失礼な学生であった私だが、日本の大学で学んだ一番大切なことは、「本に書いてあるからといって鵜呑みにしない」ということである。それまでの私は、「本に書いてあるくらいだから」と、ある程度権威のある人によって書かれたものには、それなりの敬意を払っていたのだが、物事には非常にたくさんの側面と見解があり、情報をたくさん集めた上で、自分で判断するしかないと分かった。それも、情報が変われば意見も変わりうるし、情報は常に完ぺきではないということが心底身に沁みて分かった。まあ、大卒資格も付いてきたことを思えば、かけた時間と授業料にみあう成果ではないだろうか。以来、新聞もテレビも雑誌も論文も、大学入学前とは違って見えるようになったのだから。
勉強法などいいから、友達を作る「技」について知りたいという人がいるだろう。これは真剣に書くと本1冊分になってしまうくらいの話で、実は勉強法に先行して書きかけたのだが、克服の過程を書くのは、問題のあった時期の自分を振り返ることでもあり、あまりに苦しい話で書き続ける事が出来なかった。ただ、ほんの少しだけヒントを上げておく。
1. 人間に興味と愛情を持つ。先ずは無理やりにでも他人に関心をもつことである。
2. とにかく相手が話し出したら、興味を持って聞く。つまらないと思う話でも、表情や相槌のタイミングに気を配って、全身全霊で聞く。
3. 人と目があったら笑顔を向ける。道を歩いていても、トイレの中でもいつも機嫌のよい自分を演じて、表情を作っていれば、いずれそれが自然な自分自身になる。
4. 舐められることや馬鹿にされる事を楽しむ。自分の能力の欠損を、ボケを演じているのだと思い込んで、臆せず人と付き合うことである。
とはいえ、実行するには日々修業を積むような努力がいるので、その努力ができるだけの基礎人間力が必要とされる。これは、愛されることと愛することでしかつかない。子どもを持っている人は、子どもが無条件で愛されていると実感できるような愛し方をして欲しい。愛しているかどうかが問題なのではなく、日々、はっきり相手に伝わるように、言葉にして愛して欲しい。一方で、ある種の自閉症スペクトラムの子どもは、自分も娘もそうだからわかるのだが、ぶっちゃけて言ってしまえば、人間などに興味をもてない。愛するなんて不可能に思える。愛するべきだと思われる人々を前にしても、愛せない自分に苦しむ。こんな子どもを愛するのは難しい。それでも、愛せる対象は探さなければならない。一人愛せれば、人間を愛せる可能性は無限に広がっていく、という経験が私にはある。私にしても、その一人が見つかったことが決定的に幸運だった。
私には、13歳の夏、その決定的な出会いが訪れた。それは、傷つき果てた一人の少年との出会いだった。彼は私の母の箏の師匠の息子で、4歳年上の17歳。高校を中退し髪を伸ばしてハードロックのバンドを組み、親とも世間とも対立していた。彼と会うまで、私は人間というものを愛することが出来なかった。家族を含め、自分を愛してくれる人々を愛そうと努力したが、人間そのものに対する憎しみと怒りを超える事が出来なかった。私は自分を傷つけた人間社会と人間を憎み、人間である自分自身を憎み、人間を愛せない自分を憎んでいた。彼と会った時、私は傷ついた精神を見つけた。深く深く傷つくことが出来るだけの感受性と、その痛みに対して怒りを持って臨む激しいエネルギーを見つけた。絶望と呼べるような闇と、闇と戦う強い意志が少年の中に共存していた。私は初めて、自分の外側に愛するに値する他人を見たのである。
私の彼に対する愛は、少女が少年を愛するようなものではなく、狂女が神を愛するような愛だった。京都と東京に距離が離れていて幸いだったが、私は文字通り彼のストーカーになり、昼夜を問わず毎日、何時間も電話をかけ続け、苦しい、死にたいと、自分の痛みを投げかけ続けた。今思っても奇跡なのだが、たった17歳の少年だった彼は、その電話を何年間も受け続けてくれた。彼には、本当に深く傷ついたものが持つ、果てしない優しさと強い精神力があった。彼と出会えたことは、本当に幸運だった。どんな感謝の言葉でもたりない。ただ、生きて、死ぬまで生き続けて、誰かの為になりたいと思うような感謝が彼に対してある。彼を通して、私は人間に対する信頼を初めて得たのである。
一人、人間を愛することが出来た事は、私にとっては決定的な変化だった。木や空や海や風、鳥や犬を愛せるように、人間も愛することが出来る。私は自分以外の人間に興味を持ち、愛する努力をするようになった。それでも、何度も揺り返しはきた。自分は人間を利用しているだけだ。自分が生きるために、周りの人間を利用するために、愛される為に愛しているふりをしているだけだと、何度も自己嫌悪に落ち込んだ。それでも、一度歩き出した以上、後戻りはできない。私は自己嫌悪に呻きながらも、愛そうとし、愛し続けた。
レポートと卒論について
さて、話を勉強に戻そう。大学生活での最大の問題は、専門科目であった。私は「本を読むのが好きだから国文学科にしとこうか」という母の思いつきで、国文を受験し合格していたのである。文学を研究するということが理解できなかった私は、授業に出て先生の話を聞いては「そうじゃないと思う」を心の中で連発しており、レポートを出せと言われても、何を書けば単位がもらえるのかわからなかった。それでも、セミナー形式で発表をさせる授業があり、「本文を読む」為に、言葉の意味を調べたり、古い参考図書から解釈を探したり、近現代の論文から評価を集めたりして、「これだけ調べました」と列挙した上で、「妥当と思われる解釈をまとめる」事が求められていると、かなり時間をかけて理解した。そして、さらなる時間をかけて、「先生が最近書いた論文を探し、その方向性に沿って意見をまとめるのだ」と気付いた。結局、単位をとる方法を理解するのに2年かかり、その間に散々単位を落としてしまった。3年と4年の2年間は、フル登録と言われる一単位も落とせない状況で、ゼミや卒論を乗り切ったのである。
私の卒業論文について、無事な卒業につながったと思われる点があるので、ある種の人々の参考のために書いておこう。私は自分でも詩を書いていて、小説などには自分なりの読み方があった。現代文はもちろん、江戸時代や中世、古代の作品を見ても、自分なりの読み方、感じ方がどうしても顔をだす。バランスのとれた卒論を体裁よくまとめる、いわゆる研究のようなことにならないのだ。そこで、万葉集のゼミに入り、古事記・日本書紀のなかに納められた「古代歌謡」なるものを卒論のテーマにした。これくらい古くなると外国語のようなもので、調べないと何も書けない。ある程度の距離と謙虚さを持って接する事が出来たのである。思い入れの激しすぎる人は、とことん極めて研究者になるなら別だが、自分の関心から対象を少しずらしてテーマを決めてみるといい。所詮は学部の卒業論文である。こう言ってしまっては身も蓋もないが、意地を張ってプロである教授と戦って、留年、退学までしなくてもいいだろう。私がこのような事を書くと、昔の友人たちはとてもがっかりすると思う。でも、かつての私たちのような青年たちを、救わなくてはいけない。私も丸くなったのだ。私が大学を4年で卒業できたことには、これらのアプローチ方法に加えて、ゼミの担当教授のお人柄が大きく関わっている。今思えば、本筋と離れた思いこみの激しかった私を、それこそ個性を認めて忍耐強く関わり続けて下さったのだ。
同志社大学文学部文化学科国文学専攻での4年間は、先生方には本当に申し訳ない失礼な学生であった私だが、日本の大学で学んだ一番大切なことは、「本に書いてあるからといって鵜呑みにしない」ということである。それまでの私は、「本に書いてあるくらいだから」と、ある程度権威のある人によって書かれたものには、それなりの敬意を払っていたのだが、物事には非常にたくさんの側面と見解があり、情報をたくさん集めた上で、自分で判断するしかないと分かった。それも、情報が変われば意見も変わりうるし、情報は常に完ぺきではないということが心底身に沁みて分かった。まあ、大卒資格も付いてきたことを思えば、かけた時間と授業料にみあう成果ではないだろうか。以来、新聞もテレビも雑誌も論文も、大学入学前とは違って見えるようになったのだから。