机に向かうこと
机に向かう習慣
それでは私がずっと勉強ができなかったかといえば、実はよく出来たのである。3年生までは、漢字テストや計算テストで10点や20点しか取れなくて、授業中も一人話がかみ合わず、クラスメートには馬鹿にされていた。それでも通知表はそんなに悪くなくて、親は私が勉強で苦労しているとは全く気付いていなかった。では、いつから文句なく勉強ができたかといえば、塾へ入った4年生のときからだ。「やっぱりうちの子とは違う」「そうか、なら塾へ行かせよう」というような話ではない。その塾では基本的に字を書かなくてもよかったのである。ほとんど選択問題ばかりの問題集が各教科1冊あり、塾へ通った1年間、テストはここからしか出題されなかった。算数以外はほとんど記号選択だけで正解でき、点数がとれる。私は点数を採ることに夢中になった。全くの偶然だが、あの時期あの塾に出会ったことは大きな幸運だった。私は、やれば結果が出るという達成感を知った。そもそも、塾へ入って勉強しようというのは自発的な選択であり、学校生活で人間関係も学習も上手くいっていなかった私は、「勉強さえできればいいんだろう、勉強で圧倒して見返してやる」というような歪んだ精神状態にあった。塾で学んだことに大した意味はなかったが、机に向かって同じ問題を「点を採るためだけに」何度もやる、その忍耐力と集中力がついた。これは、苦手な「文字書き」が作業として一切なかったからやれたことである。同時に、「点数をとること」と頭の良し悪しとは関係ないと舐めてしまうきっかけにもなった。
この時期、私は手帳を持つことも始めた。どの科目の何ページを何時から何時の間にやるというようなことを決めて、書きこむのである。たいてい予定を書くだけで膨大な時間がかかり、書かなければならないほどの内容でもなかったが、手帳に予定を書くということが自分としてカッコよく思えたので、机に向かって「書く」という行為を続けたのである。晩御飯を食べたら机に向かい、9時のNHKニュースをとそれに続くドラマをみて、お風呂に入って寝る。もちろん明日も学校へ行かなければならないと思うと苦しくて眠れないので、そんなに早く寝ていたわけではないが、一見、とても正しい小学生のような生活がその時期あった。
人に助けてもらうこと
とはいえ、塾にも1年しか通えなかった。長年の不適応によるストレスで、私の状態は毎日学校へ行くだけで大変なくらいに悪化していた。夜もぜんぜん眠れず、なんとか眠りたかった私は父のお酒を掠めて寝酒をはじめたのだが、その量はあっという間に増えて行った。日中は頭痛と倦怠感に苦しみ、自己評価は最低で、このような自分自身と学校、社会、人間に対する憎しみで密かに攻撃的な人格を形成しつつもあった。5年生になれば塾でも黒板を写す必要がでてきて、それまで1番だった成績を維持できそうにもなく、学校で疲れ果てた後に塾に通うことなどとてもできなくなり、ついに塾もやめてしまった。
5年生はとにかく状態が悪くて勉強どころではなく、6年生になって受験準備と称して家庭教師を雇ってもらった。家庭教師と何をしていたかといえば、算数の文章題を一緒に解いてもらっていた。自分一人で机に向かう力を失っていた壊れかけの私は、先生におつきあいしてもらい、先生が華麗に問題を解くのをいい気持ちで眺めて、自分まで賢くなった気がして精神安定剤にしていたのだ。それでも私の算数は悪くなかった。その先生は数学が大好きな京大の学生で、毎度式の途中が飛んでしまっても笑っていて、算数をクイズゲームとして一緒に遊ぼうというような人だった。おかげさまで、教育大付属中学の入学試験は、一桁台の好成績だったと後で聞いた。「やっぱりうちの子とはちがう」ということではない。後述するが、必ずしも自分で取り組まなくても、頭を働かせなくてもよいということが言いたいのである。人が問題を音読してくれて、書いてくれて、説明してくれるなら、自分は鉛筆を握っていなくても勉強になる。ここでの大きな課題は、聞いていられるような楽しい雰囲気、おもしろい内容だけである。
・机に向かうには動機がいる
・達成感がなにより大事
・点数で評価(ゲーム感覚で成績と自己評価を切り離す)
・時には「付き合ってくれる人」が必要
・受け身の勉強にも意味はある
机に向かう習慣
それでは私がずっと勉強ができなかったかといえば、実はよく出来たのである。3年生までは、漢字テストや計算テストで10点や20点しか取れなくて、授業中も一人話がかみ合わず、クラスメートには馬鹿にされていた。それでも通知表はそんなに悪くなくて、親は私が勉強で苦労しているとは全く気付いていなかった。では、いつから文句なく勉強ができたかといえば、塾へ入った4年生のときからだ。「やっぱりうちの子とは違う」「そうか、なら塾へ行かせよう」というような話ではない。その塾では基本的に字を書かなくてもよかったのである。ほとんど選択問題ばかりの問題集が各教科1冊あり、塾へ通った1年間、テストはここからしか出題されなかった。算数以外はほとんど記号選択だけで正解でき、点数がとれる。私は点数を採ることに夢中になった。全くの偶然だが、あの時期あの塾に出会ったことは大きな幸運だった。私は、やれば結果が出るという達成感を知った。そもそも、塾へ入って勉強しようというのは自発的な選択であり、学校生活で人間関係も学習も上手くいっていなかった私は、「勉強さえできればいいんだろう、勉強で圧倒して見返してやる」というような歪んだ精神状態にあった。塾で学んだことに大した意味はなかったが、机に向かって同じ問題を「点を採るためだけに」何度もやる、その忍耐力と集中力がついた。これは、苦手な「文字書き」が作業として一切なかったからやれたことである。同時に、「点数をとること」と頭の良し悪しとは関係ないと舐めてしまうきっかけにもなった。
この時期、私は手帳を持つことも始めた。どの科目の何ページを何時から何時の間にやるというようなことを決めて、書きこむのである。たいてい予定を書くだけで膨大な時間がかかり、書かなければならないほどの内容でもなかったが、手帳に予定を書くということが自分としてカッコよく思えたので、机に向かって「書く」という行為を続けたのである。晩御飯を食べたら机に向かい、9時のNHKニュースをとそれに続くドラマをみて、お風呂に入って寝る。もちろん明日も学校へ行かなければならないと思うと苦しくて眠れないので、そんなに早く寝ていたわけではないが、一見、とても正しい小学生のような生活がその時期あった。
人に助けてもらうこと
とはいえ、塾にも1年しか通えなかった。長年の不適応によるストレスで、私の状態は毎日学校へ行くだけで大変なくらいに悪化していた。夜もぜんぜん眠れず、なんとか眠りたかった私は父のお酒を掠めて寝酒をはじめたのだが、その量はあっという間に増えて行った。日中は頭痛と倦怠感に苦しみ、自己評価は最低で、このような自分自身と学校、社会、人間に対する憎しみで密かに攻撃的な人格を形成しつつもあった。5年生になれば塾でも黒板を写す必要がでてきて、それまで1番だった成績を維持できそうにもなく、学校で疲れ果てた後に塾に通うことなどとてもできなくなり、ついに塾もやめてしまった。
5年生はとにかく状態が悪くて勉強どころではなく、6年生になって受験準備と称して家庭教師を雇ってもらった。家庭教師と何をしていたかといえば、算数の文章題を一緒に解いてもらっていた。自分一人で机に向かう力を失っていた壊れかけの私は、先生におつきあいしてもらい、先生が華麗に問題を解くのをいい気持ちで眺めて、自分まで賢くなった気がして精神安定剤にしていたのだ。それでも私の算数は悪くなかった。その先生は数学が大好きな京大の学生で、毎度式の途中が飛んでしまっても笑っていて、算数をクイズゲームとして一緒に遊ぼうというような人だった。おかげさまで、教育大付属中学の入学試験は、一桁台の好成績だったと後で聞いた。「やっぱりうちの子とはちがう」ということではない。後述するが、必ずしも自分で取り組まなくても、頭を働かせなくてもよいということが言いたいのである。人が問題を音読してくれて、書いてくれて、説明してくれるなら、自分は鉛筆を握っていなくても勉強になる。ここでの大きな課題は、聞いていられるような楽しい雰囲気、おもしろい内容だけである。
・机に向かうには動機がいる
・達成感がなにより大事
・点数で評価(ゲーム感覚で成績と自己評価を切り離す)
・時には「付き合ってくれる人」が必要
・受け身の勉強にも意味はある