字を書くということ
今振り返れば、私は学習障害だったのだと分かるが、当時はそのような認識もなく、何の支援もなかった。では、どうやって字が書けるようになったのか。好きなことを少しずつ書き続けてである。後述するが、私の場合は2年生頃から自分の詩を書くために字を書いていた。中学生になってからは詩をかっこよくするために、漢字を辞書で引いて書きなおしたということもある。小学生の時には、自分の詩の他に、本から好きな言葉を見つけて紙に書き写し、授業中や帰宅後のつらい時に、現実逃避して自分を支える為に眺めるという習慣があった。また、手帳をつけることをかっこいいと思い、一生懸命書いていた。何にしても「書く練習」が目的ではなく、自分の興味のあること、かっこいいと思える事を、必要に応じて書いていたのである。そして、後から間違いを見つけては書きなおした。「自分の好きな内容を」、「見て写す」、「後から直す」ことの積み重ねで、普通の人には及ばないながらも、それなりの量をそれなりのスピードで書けるようになったのである。
私は宿題をしたことがほとんどない。先生の話が耳に入らない私には、今日の宿題の内容がわからなかったし、書くスピードが遅過ぎてメモが取れず、何か書いたとしても見るのを忘れ、仮に見たとしても自分の字が読めなかった。おかげで、反復練習というものをほとんどしなかった。「練習しないから書けないのだ」という意見もあろうが、私が呼びかけているのは、「いくら書いても書けるようにならない子どもたち」に対してである。私は反復練習が大嫌いだった。生理的苦痛で視界が失われそうになるほどだった。私の両親は仕事をしていて、家で勉強させられたことはなかったけれど、一度だけ、九九がいつまでたっても覚えられなくて、家で練習させられた時期がある。私はその時期学校も休みがちになり、布団の中で毎晩泣いた。
書きとりなどの家庭学習は全くしなかった私だが、授業で詩というものを習うと、詩を書くようになった。それは、2年生の時に教生の学生さんがした授業で、谷川俊太郎の「おおきなさかなは おおきなくちで」という詩を紹介するものだった。そのプリントは私が中学へ入るまで部屋の壁に貼ってあった。あと、父の書斎にあったビジネス書などの中から、好きな言葉を見つけると写した。それは本田宗一郎やどこかの偉いお坊さんの言葉だったかもしれないが、本から字を写して、かっこいいと思えるように1枚の紙を作り上げた。中学生になって辞書というものを知ると、漢字は音だけ知っていれば写して使えるものになり、自分の世界は格段にカッコよくなった。私はラッキーだった。教育大付属では私の問題はレベルが低すぎて想定されておらず、指導の対象にはならなかった。今の子どもたちの話を聞くと、間違った字には徹底的に赤ペンが入り、漢字の払いや止めに至るまで、何度も書き直しさせられると聞くが、私にはそのような経験はない。あっさり×がつけられていただけで、内容が悪くなければそれなりの点数ももらえた。ちなみに母は仕事が忙しく、私の勉強に関わることはなかったし、たまに私が書いたものをみても、変な字だと言って笑っているだけだった。放っておいてくれたおかげで、私は少しの字を、印象的に書き続ける事ができた。だから習字以外では字を書くことが嫌いにはならなかった。習字は「心が曲がっているから字が曲がるんです」と散々直されて、筆を持てなくなってしまった。
今振り返れば、私は学習障害だったのだと分かるが、当時はそのような認識もなく、何の支援もなかった。では、どうやって字が書けるようになったのか。好きなことを少しずつ書き続けてである。後述するが、私の場合は2年生頃から自分の詩を書くために字を書いていた。中学生になってからは詩をかっこよくするために、漢字を辞書で引いて書きなおしたということもある。小学生の時には、自分の詩の他に、本から好きな言葉を見つけて紙に書き写し、授業中や帰宅後のつらい時に、現実逃避して自分を支える為に眺めるという習慣があった。また、手帳をつけることをかっこいいと思い、一生懸命書いていた。何にしても「書く練習」が目的ではなく、自分の興味のあること、かっこいいと思える事を、必要に応じて書いていたのである。そして、後から間違いを見つけては書きなおした。「自分の好きな内容を」、「見て写す」、「後から直す」ことの積み重ねで、普通の人には及ばないながらも、それなりの量をそれなりのスピードで書けるようになったのである。
私は宿題をしたことがほとんどない。先生の話が耳に入らない私には、今日の宿題の内容がわからなかったし、書くスピードが遅過ぎてメモが取れず、何か書いたとしても見るのを忘れ、仮に見たとしても自分の字が読めなかった。おかげで、反復練習というものをほとんどしなかった。「練習しないから書けないのだ」という意見もあろうが、私が呼びかけているのは、「いくら書いても書けるようにならない子どもたち」に対してである。私は反復練習が大嫌いだった。生理的苦痛で視界が失われそうになるほどだった。私の両親は仕事をしていて、家で勉強させられたことはなかったけれど、一度だけ、九九がいつまでたっても覚えられなくて、家で練習させられた時期がある。私はその時期学校も休みがちになり、布団の中で毎晩泣いた。
書きとりなどの家庭学習は全くしなかった私だが、授業で詩というものを習うと、詩を書くようになった。それは、2年生の時に教生の学生さんがした授業で、谷川俊太郎の「おおきなさかなは おおきなくちで」という詩を紹介するものだった。そのプリントは私が中学へ入るまで部屋の壁に貼ってあった。あと、父の書斎にあったビジネス書などの中から、好きな言葉を見つけると写した。それは本田宗一郎やどこかの偉いお坊さんの言葉だったかもしれないが、本から字を写して、かっこいいと思えるように1枚の紙を作り上げた。中学生になって辞書というものを知ると、漢字は音だけ知っていれば写して使えるものになり、自分の世界は格段にカッコよくなった。私はラッキーだった。教育大付属では私の問題はレベルが低すぎて想定されておらず、指導の対象にはならなかった。今の子どもたちの話を聞くと、間違った字には徹底的に赤ペンが入り、漢字の払いや止めに至るまで、何度も書き直しさせられると聞くが、私にはそのような経験はない。あっさり×がつけられていただけで、内容が悪くなければそれなりの点数ももらえた。ちなみに母は仕事が忙しく、私の勉強に関わることはなかったし、たまに私が書いたものをみても、変な字だと言って笑っているだけだった。放っておいてくれたおかげで、私は少しの字を、印象的に書き続ける事ができた。だから習字以外では字を書くことが嫌いにはならなかった。習字は「心が曲がっているから字が曲がるんです」と散々直されて、筆を持てなくなってしまった。