字が書けない
学校への不適応
字が書けない私には字を書きたいという気持ちがとてもたくさんあった。この気持ちが失われなかったことは本当に幸運だった。小学校1年で教育大の付属小学校へ入った私は、自分の名前が書けず、いつまでたっても物凄くゆっくり、間違った字を汚く書くことしかできなかった。学校への不適応という問題もあり、私は筆舌につくせぬ不幸な状態にあった。とにかく死ぬことばかり考えていた6年間、毎朝、「とにかく今日はやらなければならない事があるから、明日、自殺しよう」と自分に言い聞かせて学校へ行った。学校では、忘れものと遅刻、授業中の不注意と居眠りで怒られてばかりいた。教室という場所にいるだけで苦痛で、空間が視覚的に歪み、しばしば様々な景色と教室が二重写しになって、授業に出ながら映画を見ているようだった。自分ではそれを苦しすぎる時間からの現実逃避だと認識していた。先生のいうことは耳に入らないし、突然ほかの子どもたちが教室移動をはじめたり、着替えだしたりする度に、吐き気を催すほど緊張した。なぜ、他の子が突然に三角定規を取り出すのか、それを明日持って来いと言われた記憶のない私には悪夢だった。子どもたちの社会は私からすれば暴力と暴言に満ちていて、しかも全く興味の持てないものだった。それでも、周りの様子を観察し、真似をし、なんとかコミュニケーションのようなものを成立させるためにのたうちまわったが、後年、「岩堀はかしこすぎて友達がいなかった」と、友達のつもりでいた同級生が語っていたと伝え聞いた。相手が自分の話を理解していないと焦りながら、絶望的な気分で言葉を並べていた記憶が私にはある。
字が書けないことは、そんな学校生活を更に苦渋に満ちたものにしていた。1年生の社会科のテストで、「お母さんは夕食の後片付けをしています。おとうさんは寝ころんでテレビを見ています。あなたはどう思いますか?」というような問題が出た。私の答えは5文字。「のんきだな」。それで×をもらったが、何がどういけないのか分からなかった。今なら、「お父さんは一日仕事をして疲れているのだから、夕食の片付けはお母さんの仕事だと思う」とか、「お母さんは一日中家事をしているのだから、夕食の後片付けくらい、お父さんも手伝った方がいい」などという回答が求められていると分かるが、当時の私には内容など問題ではなく、書くことがあまりにも大変で、5文字が精いっぱいだったのである。そんな私がそれなりに字を書けるようになったのは、高学年になってからである。それでも漢字は書けず、誤字脱字だらけであった。