学校へ行っていないので、
毎日、家で過ごしている娘が、
今日も退屈して、

「何すればいいの」(イライラ)

と、ほざいています。

娘を学校にさえやらない過保護な我が家ではありますが、
退屈については
「自分のしたいことをしなさい」
と突き放します。

私も中学、高校には行かず、
自分で作らない限り、
何の予定もない生活を長年しましたので、
退屈することの苦しさはよく理解しています。
しかし、この退屈が自立のためには非常に重要だと考えていますので、
助け船を出さずに見守っています。

私たちにとって、
人生は退屈との闘いです。
何となく毎日学校へ行くという選択肢は、
私たちにはありません。
刺激的な活動を自分のために企画するには、
発想力と実行力が必要となります。
自分を満足させるためには、
それなりの努力をしないといけません。

やることがないのは辛い。
面白くないのは辛い。
退屈は苦しい、退屈は辛い。
でも、自分がつまらないのは自分の責任。
自分を満足させるのは自分の責任。
自分を喜ばせるためには、頑張らなきゃならない。
自分の幸福には責任を待たなきゃいけない。

という私の価値観を、日々、娘に伝承していきます。

小さい頃には、一日中テレビを観ていた時期が1年間ほどもありました。
一日中、黙ってテレビを見せておくのは大きな苦痛でしたが、
私は何も言いませんでした。
ipadで動画にはまったことも、
パズドラにはまったこともありましたが、
何にはまっても、数か月で飽きてしまいました。
好きなことを際限なくやらせておくと、
うちの子については必ず飽きる時期がきます。
我が子の活動エネルギーを吸収しきれるほどの刺激は、
ゲームやテレビにはないと思っています。
そういう意味で、私は娘の生命力を信じています。

学校へ行かない生活は、
のんびりしているようですが、
実は結構苦しいのです。
娘は今日も退屈と戦っています。
何をすれば楽しくなるのかと、
イライラしながら考えています。
このヒリヒリするような痛みと苦しみの時間が、
いつか生産的な活動を行うとための、
モチベーションに変わると思っています。

ピアノ、お絵描き、学習系と社会スキル系の療育、
そしてたまには学校への顔だし、

娘はこれらを、「お暇つぶし」だと言っています。
今でこそ喜んで行きますが、
どれも初めは行き渋りの激しかった活動です。

人生はお暇つぶしです。
死ぬまでの時間を、
自分を喜ばせるためにマネージする。
その力を蓄えるためには、
子どもには退屈を恐れるほどの、
自由時間が必要だと思っています。
何かを思いつき、やってみて、
結果に満足できたり、出来なかったり、
満足していてもやがて飽きたり。

そんなことの繰り返しを、
まだまだ、当分、見守っていくつもりです。