私も今でいう発達障害で、当時でいう登校拒否になり、二次障害で自殺の危機に長年苦しんだ。

それでも大検で大学に進学し、中国に留学して第二言語を手に入れ、イギリスでマスターをとり、人聞きのいい仕事をして中国人と結婚し、待望の子どもを産んだ。これらの成果をもって、母は、自分を子育ての勝ち組だと宣言する。かくいう母も孫の発達障害が分かって以来、たくさん本を読んで発達障害のなんたるかを知り、自分には人の気持ちを読めないという障害があると認めている。そして、孫を手に入れたことをもって、自分の子育ては成功したと言い切る。先の事を読めないからこそ、私という難しい娘の子育てにあたって、その場その場でのベストを追求し、それが功を奏したと言い切る。

さてさて。私は人の気持ちが読めなくて、読み書きや計算のできない娘の将来を、凄く戦略的に計算して組み立てようとしている。当たり前に人が身につけているという常識が身に付かない分、すべて計算して準備している。私も、娘の発達については今のところ想定された以上の結果を出し続けているんだけど、最終的に母にかなうかどうかはわからない。

私の人生すべてが母の成果であり、私は娘を育てることで母を超えようとあがいているのかも知れない。お互い仕事もあって、子どもにすべてをかけているとは言い難い、というか全くそんな風にはみえない生き方なんだけど、実はここに人生の勝負をかけているかも知れない。

母性って性だなと思う。

娘を私より幸せに育てる。それが私の母への挑戦なんだなと思う。
でも、娘の子育ても孫の発達も、すべてが母には自分の成果としてカウントされるんだろう。
いくら頑張っても母には敵わない(笑)。
それでも、挑戦し続ける私がいる。
母に脱帽されるような母親になってやるという思いで、今日も娘を見つめている。