2年前に自死で旅立った彼に線香を上げるためだ。
彼のお宅に着くと、ご両親が迎えてくれた。奥に通され居間に上がり、仏壇に線香を上げさせてもらった。
彼はお父さん似なんだろう、彼の面影を感じさせるその雰囲気は記憶を蘇らせる。
お母さんはお通夜の時には来られる状態じゃなかったので、お会いするのは今回が初めてだった。
小柄な人柄の優しそうな方だ。
お母さんが家の外での彼の話を聞きたいということもあり、お茶を頂きながら記憶に残る彼の話をした。お母さんも色々彼の話をしてくれた。
お母さんの言葉の端々に彼への愛情が感じられ、いなくなった者に対してどうすることもできない無力感と自分への後悔が溢れていた。
お父さんは話を続けるお母さんに時折言葉を挟みながら淡々と話す。
お父さんもお母さんも思い出したくない気持ちがある反面、息子がどのように人と関わっていたのか知りたい気持ちがあると仰っていた。
日々、仕事をして結構同じようなことを繰り返して毎日を過ごしている自分にとって時間は怖いくらい早く過ぎていく。
時折涙を拭きながら話すお母さんを見て、月日の流れは人によって、物事によって大きく違うんだということを再認識させられる。きっと彼女の中では2年はまだまだなのだ。当たり前のことだ。

僕の周りにもそうやって過ごしている人達がいる。ただ必ずしも皆そこに立ち止まっている訳では無い。
スピードは違うが皆が月日という時間の流れに体をひたして少しづつ受け入れていく。悲しみの大きさが減る訳では無いが少しづつ重さが軽くなっていく気がする。
忘れることも、思い出してあげることもきっと亡くなった方は勿論、自分自身への供養なんだと思う。




