こんばんは
今回は透析とは全く関係ない内容です
一部、文中に暗い表現の言葉がありますので、苦手な方はスルーしてください
生と死。
人間はいずれ死にます
でもペットと言われる愛玩動物の方が人間より短命なのが一般的です。
それがスロクマがペットを迎えられない理由の一つだと前に書きました
って、今日はそっちの話ではないです。
人間のエゴってすごいよね~
スロクマ、大学は畜産学科を専攻し、卒論は牛を飼育してその内容を発表しました
今もその分野に関わっています。
学生の頃は毎日、牛舎に行き、牛の体調を観察し、記録し、餌やりや掃除など色々やってました。
もちろん、牛たちには愛情をそそいで育てました。
でも経済性を確認するためには、殺してその肉の内容を調べなければならず、出荷した時には普通に『いってらっしゃい』『いいお肉になってるといいなぁ』なんて考えてました。⇐あれ?おまえその牛たちに愛情そそいでなかった?
人も
犬や
猫、
牛や
馬、全て同じ命を持っています。
でも人を殺めれば殺人罪という罪に問われる一方、牛などは良いお肉になってねと勝手なお願いをし、美味しい美味しいと食べてしまう。
じゃあ食べるな!と言われてもスロクマはベジタリアンではないので、美味しくいただきますし、逆に全部残さず美味しく食べてあげることが供養の一つだと思っていますから
同じ命なのに、なぜこんなに価値が違うんですかね?
人間には知性があり、愛玩動物とは違うし、まして経済動物の牛や豚とは大きく違う!
確かにその通りです。
でも価値は人間が決めたエゴですよね?同じ命なのに
長くなりました。
食事を始めるとき日本人は『いただきます』と手を合わせますが、これは『いくつもの尊い命に感謝し、それを今からいただきます』という感謝の意味が込められているそうです。
日本人として、人として、感謝の心をこれからも持ちながら、食事を楽しみたいと思います
書き始めは違う内容で書くつもりでしたが、スロクマが書くことではないなと思い、途中から内容を変更しました。
その結果、いつもにも増して読みずらい、取り留めのない内容になってしまったこと、お詫び申し上げます