動詞の違いに注意

 

ちょっとだけ引っ掛かってることがあってね

 

アメリカに来た直後から

感じてたこと

 

前にもブログで書いたけど

 

 

私、ここに来てから

 

 

アメリカにいても

いなくてもいい

 

本当にその感覚になってね

 

 

        (ブルーボネットはテキサスの州花。春に咲くのよ)

 

 

 

アメリカがもちろん嫌いでもない

日本に帰りたいわけでもない

 

 

 

 

 

 

 

 

でも

アメリカでも日本でもどちらでもいい

 

 

 

その感覚自体を否定はしてないし

だからダメだとも最初から思ってない

 

 

 

ただ、どうしても

ちょっと引っかかっててね

 

 

2016年に旅が元々大好きだったから

旅しながら働けたら最高だなと思った

 

2017年1年で4回海外に出て

そしてスペインでは3週間以上滞在した

仕事もした

 

気づけば、働きながら旅することが実現した

 

 

そして

LAに行ったことがきっかけで

 

海外に住んでみたいな

下矢印

次の望みが出た

 

 

 

そこからは、やっぱりエゴがたくさん出て

 

・年齢が

・語学力が

・どうやって?

 

無理だよねーーー

なかなか自分で許容できなかったから笑い泣き

 

 

 

実現するまでに数年かかったけど

 

 

 

許容してからは

思わぬルートでアメリカで暮らすという

現実がやってきた音譜

 

 

 

さ、ここでです!!!

 

海外に行きたい

海外に住みたい

海外に住めた

 

????

 

ここからは

住んだ体験によって

2つに別れるよね

 

例えば

 

①どうしても合わなくて日本に帰りたい

そして帰る

 

②海外でこのまま暮らす!!

 

だいたいこの2パターンじゃない

 

 

でも私は③どっちでもいい

だったのよ

 

 

特に、②の場合ね

そうはいっても、みんな

海外に住み続けるために本当に

想像を超える苦労やいろんな体験や経験をだいたいしてる

(駐在とかは別ね・・会社都合だからね)

 

 

何とかこの国で居場所を作ろう

何とかこの国で夢を叶えよう

何とかこの国に住み続けられるように何でもやろう

 

 

 

とにかく

本当に実際に会う人、そうでないSNSを通して

見てる人も含めて

 

===

 

海外に住むってやっぱり相当な覚悟を持って

やってるんだなーーーびっくり

 

===

と思って、

私みたいな人ってマジでいなくない?

ってちょっとどこか、

こんな自分が居てもいいのかな?

みたいに正直思う時もあったあせる

 

 

 

否定はなくても、何か申し訳ないみたいな。

 

 

で、この前

 

カオス劇場から

本当に現実が嵐のようになってて

 

 

 

その時に、何故か

そのカオスとは全く関係ないこの自分が持ってた

このことについて気づきがきた

 

 

それが

 

あーーー私の目的はもう完了してたんだ

 

ということ

 

 

つまり

 

海外に行きたい→旅行に行く

働きながら旅したい→その働き方の仕組みを作る

海外に住みたい→実際に住んでみる

 

ここまでちゃんと

自分の望みに対してアクションしてきた

 

でもその次

 

 

ずっとこの国に住みたい

or

この国で○○を叶えたい

 

という望みは出ていなかった

 

じゃあ、何でこの国にいるのか

 

アメリカでも日本でもいいから

そして今アメリカにいるから

そのままただいる

 

それだけでした笑い泣き

 

 

でもそんなふざけた中途半端な

気持ちでいることがダメという

 

 

 

住んだからには

住み続ける努力をしないといけない

どこかで私はやっぱり

正しいルートを決めて

そうでない自分をジャッジしてたんだと

 

でも

「望み」が出てないのに

動けるわけもなく・・・

 

 

こうして書けばシンプルなんだけど

これ結構深くてね

 

 

例えば

 

・あ!これ可愛い、素敵

・欲しい

・買う

・使わない

 

こういうパターンあるでしょ?

 

その時私たちは

どういうマインドになる?

 

 

・あーーー衝動で買っちゃだめだな

・もったいなかったな

・折角買ったんだから使わないと

・買い物失敗したわ

・次からは使うか考えてから買おう

 

めちゃこういうマインドにならない?

つまり

 

「失敗」

 

 

 

(がーんとなるAR君のように・・)

 

 

 

でも

もういちど見てみて

「可愛い・素敵」の望みから

 

・欲しい→買う

 

のアクションはあっても

次の

「使いたい」の望みが出なかった

 

ただそれだけのことで

 

買ったら使うがセットになるって

そもそも可笑しいのよ!!!

 

 

レストランに入って

メニュー見て

「あ!これ今食べたい」

で食べたら一口で満たされた、つぎの瞬間もう1つの

メニューも食べたかったなと思った

 

でも90%以上の人は

ここで

「頼んだんだからこれ食べきらないと」

「次に来た時にまた頼めばいい」

 

一口で満たされてしまった

もしくは、でき上がったのみたら食べる気分でなくなった

のに食べ続けない?

 

 

これさ

全部、動詞が違うし

 

望みが出てないのに行動はできない

 

だから

その瞬間、ちゃんと自分の望みに動けたなら

 

ルート通りの完了までいかなくても

 

大成功であり

失敗でも何でもないわけよ

 

 

でね

 

その使わなかったものを見た時に

 

ピンと思い浮かんだ人

たまたまその場にいた人

 

お母さん「これ使わなかったんだよね・・」

と話したら

お父さん「えーーーそれ使ってみたかった」

 

とかってなったりする

 

だとしたら

 

使うという役割は

自分ではなくて他のAさんBさんがする役割だった

のかもしれない

 

でもいつだって私たちは

 

最後まで完了して初めて

望みを叶えたとなりやすいし

 

こういうパターンの時に

 

「失敗した」

 

という言葉を使う

 

でも何1つ失敗なんかしていない

 

ちゃんと自分の役割、望みコンプリートしてるのよ

 

たまたま

 

「使う」という望みまで出ないものだった

それは何故なら他に「使う」という役割を担う人がいるから

 

 

 

ちょっとこの視点は人間的に考えると

かなり「え??」ってなるけど

 

 

 

私たちは調和の中で生きてる

全てが調和の世界

 

ここもかなり実体験したことがあったから

次回詳しく書くね

長くなりすぎるのでw

 

 

とにかく

 

欲する

買う

使う

 

全て動詞が違う

ってことは

1つ1つ別の望みだということ

 

それを全て関連づけて完結させねばならない

ではない

 

 

何かを始めたいけど1歩踏み出せない

とか

いつも完璧主義になってしまう

 

と言う人は

確実にこのパターンになってるからだよね

 

 

何かをやってみたい!

ってなったらそれをカタチにして

商品にして売り出して、売上つくって・・

 

みたいなw

 

 

かなりハードル高し!!!

 

 

そう思うと

 

・自分の望みがわかりません

・自分のやりたいことがわかりません

・自分が何したいのかわかりません

・自分の感覚がわかりません

 

という人はいないはず

 

 

「望み」

それはもっともっと本当に日常の中にある

小さな小さな1歩のこと

 

そして

その1つ1つが例え無関係に思えても

中途半端に思えても

 

全体の中の調和の視点でみれば

それが全て完璧なのよ

 

 

 

 

私の海外での望みは今の所

全てコンプリートです

 

で、また私はすぐに焦る癖があるから

 

じゃあ望みが出ないなら

 

日本に帰るべきとか

アメリカで次の望みを見つけるべきとか

 

すぐエゴにまた走りそうになるw

 

今は、望みはでないけど

「帰りたい」の

望みもまだないので

 

しばらく自分のこの中途半端と感じる状態を

許容して観察することにします

 

そして次になんの

 

「望み」が出るか

 

そのタイムラインの自分に会えるのが楽しみ

 

またその時はもちろん

報告します

 

 

 

 

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