私たちは望むことの前に
「望まない」ことを明確にする必要がある
(Austinに行ったよ!コロラド川)
*
この世界はコントラスト
望まないことがわかってない人は
自分の望むことがわからない
だから
望まない経験
望まない出来事
全て全てギフトだっていうのはそういうこと
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強烈に人に対して感じた怒り
深く深く自分と対話すると出てきたのは
「わかってよ」
ということへの抵抗だった
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分かるわけねーだろ!!!
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親子だって分からないことだらけ
なんなら自分のことだって分からないことがある
それなのに
赤の他人が言葉にしてくれないのに
分かるわけないでしょ!!!
この怒りを発見した時に
発見したのは
そもそも、私が一番
「わかってよ」
という表現をずっとしてきたということ
その怒った相手に
私の方が先に
「わかってよ」
という思いがあったこと
人生の中で大切な人ほど
私はこれをやる
祖母のこともそうだった
愛されなかったんじゃない
「愛して欲しい」
と言えなかった自分がいた
===
私はこう感じている
もっとこうしてほしい
これがやりたい
===
それを表現せずに
わかってよ
ってやってきた
だから
それをわかってくれない=愛されていない
真実ではないそれを
私は自分の真実として生きてきた
だから
「違うんだよ」
何度も同じサインは人生の中で起きてた
でも
全く気づかなかったんだよね
ここにきて
これでもかーーーーーー!!
いや違うな
私がそれだけ自分の皮を剥いできた
1つ1つがあったから
やっと辿り着けた
今だから気づけた
それが私のタイミングだった
でも、これでもかーーー!!
と見せつけ続けてくれた人への感謝
いろんなことが溶けていく
でも
深く刻まれたその概念は
何度もきっとこれから顔を出すだろう
だから
丁寧に丁寧に
何度でも立ち止まって
今までの表現方法を変えていく
*
気づいた時
それはとても私にとって勇気のいることだったけど
相手に私はそのことを伝えた
相手にしてみたら
「???」
こんな話し聞いても意味不明
そう思ったけど
やっぱり自分に対するコミットとして
伝えたかった
相手が意味不明だとしても
そしたらね
逆に、
話してくれてありがとう
感謝の言葉が返ってきた
それを境に
180度相手が変化した
正確には変化しているわけじゃない
その人のどの面を
私が一番捉えてみていたかってこと
そこが変わったんだよね
誰の中にもある多面性
白がいいじゃない
黒がわるいんじゃない
白も黒もある
ただある
それは等しく私自身も
私は白であり黒である
そしてカラフルな何色かでもある
自分の綺麗な部分だけをみようとするな
自分の強い部分だけを認めるな
自分の弱さに酔いしれるな
自分の悪を捌こうとするな
自分の傲慢さ
自分の誠実さ
自分にある偽り
自分の優しさ
全て全てが私
強烈に自分に対する愛しさとともに
だからこそ同じく他人に対する愛しさが湧いてきた
そんな体験ができたのも
この国に来れたから
きっと
私は日本でこんな出来事が起きたら
逃げるとも思わず
逃げたと思う
向き合う前に
私の世界に必要ない!
そう言って
感じ切る前にその場から離れた
逃げることが悪いでもない
時に逃げることが必要なこともある
でも私はもう
このパターンを終わらせたかったんだ
自分が成長、拡大するために
そろそろこのパターンは限界だった
深い自分がしっかりと
キャッチして起こさせてくれた出来事
起きてる渦中は
悶えた、死にそうだった
暗闇で動機息切れ、胸のざわつきが止まらなかった
人生でこんな風に感じたのは
姉の出来事と今回2回だ
それぐらい
渦中は嫌だった
その嫌な感覚も否定せず味わったから
逃げずに味わい尽くしたから
気づけた
誰の中にもある
黒・闇・悪
と思っている部分
それを排除する無いことにする
私たちはずっとそれが正しいと教わってきた
でも教えられてきたこと
その逆に真実がある
目覚めた意識で生きていきたいね
望まない出来事
そこにはとても大きなギフトがある