アジア人ヘイトクライム
について
本当は書くのどうしようか迷ってたんだけどね
というのも、私自身は全く今そんなことを
感じたことも無いし、身近で起きてもない
でも実際に私がいるアメリカで
起きていることも確かで
日本のニュースではある側面を
正しくでもなく、湾曲して報道するでしょ
(今に始まったことじゃないけど)
だから
実際に、インスタのDMとかLINEとかでも
沢山
「気をつけてね」という心配のメッセージを
もらうから
ちょっと今の私が思うことを書いてみようかと
*
たった1ヶ月ちょいだけど
アメリカに暮らしてみて
本当にここは他民族国家なわけです
知ってたけど住んでみると
本当に
「アメリカ人」という人って
かなり少なくて
隣見ればインド人
メキシカン
チャイニーズ
コリアン
とにかく当たり前に隣にいる人は自分と同じじゃない
その中でも日本人である私は
かなりマイノリティー
旅していた時は
こう思ってた
他民族がいる文化だからこそ
差別や偏見も少なく、違うということを
当たり前に受け入れる人たちなんだと
もちろんそういう人達が大半だとは思う
でも、と同時に
その逆
ずっとそんな環境に育っているからこそなのか
常に、国民性でジャッジし続け
前提にあの国に人はこうだらかこう!
という決めつけや偏見が
人々の中に当たり前にある人も多い
あの国はだから・・・
あの国のひとだから・・・
そんな前提でいつも彼らをジャッジした視点で
生活をしている中
「コロナ」
というきっかけ
ただのきっかけにすぎない
このきっかけで爆発して
表現・行動(暴力)として
出てきたような側面があるんじゃないか
これはあくまで私の個人的な意見だけど
本当にね、驚くほど人をジャッジしてる人たちが多い
もちろん、アメリカ人だけじゃなくて
日本人だって大半がそうだよね
でも私はこの数年そういう生き方、あり方の
人たちと出会ったり、関係をもつことがなかったから
久々にそういうあり方なのを身近で
体験してね
「戦争」がこの世界から無くならない理由と
「ヘイト」が無くならない理由
全く同じだなと感じてます
だから
「ヘイト」に対して声を高らかに何かを
言うことはしません
ただ
自分はどう在りたいのかどういう世界を望むのか
ただそれだけを
やっぱり口にしたり意識する
それしかないなーーとより今感じています
私の住むエリアは全米でも
安全な場所TOP10に入るところで
怖い感じには今のところ一度もあったことない
それでも
時々携帯には
アンバーアラートが鳴るし
(誘拐事件や殺人事件など)
多い時には1日に数件鳴る時も
それもあまり近くじゃないけど
それでも
そういう国にいるんだなということは
思ってます
NYなどでは
リアルにアジア人の若者による
「抗議デモ」があったりもしてます
ツィッターの在米の方の中には
「外出怖い」
「1人で出歩けない」
という人もいました
住む場所によると思います
私は今のところ安心して暮らしています
全ての元は
「ジャッジ」なんだなーと
今回改めて私的には思ってます
この視点が人類から無くなった時に
戦争もヘイトも全てが消えてなくなるのかな
ただジャッジすることすら悪いものでもなく
難しいよね
ただ自分はなるべく
そういう視点を少しずつ手放させたら
自分もHappyだしとは思ってます
*
ということで
私なりの「アジア人ヘイト」について思ったことでした