「エスティームコーチ」東 なおこです。
実は母が体調を崩して19日イベント終了後
帰宅してました。
私は幼い頃からずっと何でも頑張る母を
見てきました。
・劇的に運動神経の悪い母が私たちの
幼稚園の送迎のために自転車の訓練をして
乗れるようになった姿。
・外で働くようになるために
運転免許を30歳過ぎてから取得した母の姿
・祖父母と同居で一生懸命仕事と家庭を
両立しても尚、姑にいじめられる母。
・職人気質でぶっきらぼうで家の事を
何もしない父の妻として頑張る姿
・定年退職するまで、保険の仕事をしていた
母はいつも勉強していました。
帰宅して、食事の準備、後片付け、そして夜勉強。
朝は誰よりも早く起きて支度を繰り返す姿。
・亡くなるまでしていた祖母の介護。
・そして、その直後に始まった姉の介護。
数えだしたらきりがない・・・
子供の頃は、そんな母が一番の尊敬する人でした。
と同時に、母のような人生にはなりたくない。
そう思っていたように思います。
それだと分かったのは、自分と向かいあった数年前に
出てきた
「母はかわいそうな人。」
「頑張る母が嫌いという私。」
→母が頑張れば頑張るほど私たち(子供)のせいだと
思っていたから。
「頑張る母を喜ばせたい、頑張る母を安心させたい
頑張る母を少しでも楽にさせてあげたい。」
だから、今度は私が頑張る人になっていました。
最近母にかける言葉は
「そんなに頑張らなくていいじゃん。」
「もっと楽に生きなよ。」
「自分の人生も楽しんでよ。」
その度にここから言い合いになって喧嘩。
最近姉の病気をきっかけに出会った
Aさんという方が母にとってはとても大きい存在。
その人が昨日、母にかけてくれた言葉に
母は電話口で泣いていました。
その後、私に
「お母さんは考えてみたらずっとしっかりなくちゃ
幼い頃からずっとそう生きてきた・・・・
だから褒められることはあっても、
優しい言葉をかけてもらってきたことがない。
だから、優しい言葉をかけられると泣けてしょうがないんだね。」と。
そっか、私の
「頑張らなくていいじゃん。」
「自分の人生も楽しんでよ。」は
私からしたら優しさでかけてる言葉だったのですが
母にとってはそれは優しさでもなんでもなかった。
母が欲しかったのは
「いつも頑張ってくれてありがとう。」
と受け止めて、認めることだったのかな。
前に、親子であっても
お客様をコーチングする時みたいに
接したら?
と言われたことがありました。
そう思っていても、身近な家族に対しては
すぐに、照れくささや焦りが出てしまいます。
1歩づつ、1歩づつ。
まだまだ私もです。まだまだなんです。
そんなことを感じました。
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