何のための写真
一昨日のことですが、月曜日にホスピスで撮った写真を被写体の方にあげたら、
「いやでもほんとによく撮れてる。さすが。すごい。ありがとう。」
と、何度も何度もお礼を言われました。
口にしなくても、その嬉しさと高ぶる気持ちが表情から伝わってきます。
撮ったのは、67歳の男性の方なんですが、20歳以上も年下の彼女さんとのツーショット写真です。
20枚くらいプリントしていったのを小さいポケットアルバムに入れて渡しました。
しばらく写真を見てひと段落すると、その彼女さんに電話をして、
また「よく撮れてる。よく撮れてるよ」と嬉しさを共有していました。
写真を撮ってこんなに喜ばれたのって、生まれて初めてなんじゃないか、っていうくらいでした。
ブライダルの写真ももちろん喜んでもらえるけれども、こうなんというか、
新郎新婦というのは、やっぱり祝われるべき、写真を撮ってもらえるはずの人だし、
もともと結婚式の写真を残そうという気持ちがあるので、また違った感謝のされ方をします。
今回撮ったのは、モデルさんでも新郎新婦でもなく、一般の方。
3ヶ月前にできた彼女さんとまだ一枚も写真がなかったというので、撮ることになりました。
普段から写真を撮ったり撮られたりということがないから、
写真というものに対してちょっと特別なイメージもあったのかもしれません。
おそらく、今までは使い捨てカメラでハイチーズの写真くらいしか撮ったことがなかったのだと思います。
彼女さんと自然に話をしているところや、カメラ目線の写真、カット数は多くないですが、
「彼女との写真」をこういった形で残せたことに、心から嬉しさがこみ上げてきたように見えました。
その日の帰り道は、自然と「何のために写真を撮るのか」ということについて考えてしまいました。
今まで撮ってきた写真、いま撮っている写真は、いったい意味があるものなんだろうか。
誰かが心から喜んでくれたり、誰かのためになっていたりするんだろうか。
自分のための、自分が満足するための写真なら、やらないほうがましだと僕は思っています。
僕はアーティストではないので。
帰ってから、小栗昌子さんの『百年のひまわり』 や、レネ・C・バイヤーの『A Mother's Journey』 を何度も見返しました。
心温まる写真。
人の心を突き動かす写真です。
ショッキングな映像ではなく、そこに写っているのは、「被写体に対する撮影者の愛」と「被写体同士の相手を思いやる愛」の2つです。
いいドキュメンタリー写真には、必ずこの2つの要素が写りこんでいる、と僕は思っています。
これを写真に写しこむことができれば、きっと、その写真を撮ることに意味があったんだと言えるでしょう。
そんな写真を撮れるように、また明日から精進あるのみです。
今週木曜日はホスピスのお花見。
いい写真が撮れるよう頑張りたいと思います。
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