コロナ禍ってことばが出てきてしばらく、

"禍"のことを"渦"だと思っていた。

 

ちがうことばなのだと知り、

ようやく広辞苑オンラインで意味を調べているのが、

今になってだ。

 

 

「禍」…わざわい。災難。

 

らしい。

 

 

 

ご時世をにぎわすことばの意味を追うことすらしていなかった。

今の自分は世の中の状況に対して相当に無頓着になっている。

 

 

在宅勤務が続き、走るほかは外に出ない日が続いたことで、

書くことはとっくのとうにではあったけれども、

ブログを読む事からも、自然と離れてしまっていた。

 

 

「実際に会える可能性がある」

ということが、自分がブログを続ける理由の大きな部分を占めていたんだな、

ということに気づかされる。

 

 

 

会わないでください。会ってはいけない。会うな。

という風になってしまっている中で、

書くことからも、読むことからも、遠ざかってしまったのかなあ。

 

 


 

どうにもこうにも問題だらけの人生、人間で。

他人から"あーせいこーせい"と言われることが、

普段の仕事でも私生活でも多いのですが。

 

他人からの"あーせいこーせい"が、

このコロナ禍で、ちょっと増えた。

ように感じたかな。

 

 

いつものように受け入れようと思ったんだけれども、

完全に自業自得な問題があって、

受け入れる余裕がなくなってしまっていた。

 

 

 

「渦」…① 螺旋らせんの形に巻き込んでいく水や空気の流れ。② うずのような形をしたもの。③ 物事が激しく動揺している状態。

 

 

"コロナ禍"よりも、

間違いだったはずの、"コロナ渦"ってことばの方が、

なんだか妙にしっくりくる。

 

 

 

ここ数年僕の生活は、

仕事から自宅に帰ったら、

走って、風呂に入って、お酒を飲んで、ブログを読んで。書いて。

という循環をしていた。

 

 

コロナ渦は、そうした僕の循環から、

ブログの読み書きを奪い取ってしまった。

 

 

循環がいつの間にか渦になって、

ブログが底に引きずりこまれたまま、

表層に浮かび上がってこなくなってしまった。

 

 

 

マラソンのオンライン飲み会、みたいなのも、

2回くらい混ぜてもらったけれども。

 

1回は、(元)近所の気の知れた人たちと。

もう1回は、足柄男塾+ユメリクの人たちと。

 

「内輪」どころではない、自分にとってもはや「いるのが当たり前」の近い距離の人たちとだったから、循環というよりは、生命維持活動の一環で。

 

 

内輪のオンライン飲み、

というものにすら、顔を出す事をためらっていた。

 

自分自身が楽しむとか、

そういう事を望んではいけないんだと思っていた。

 

 

 

そんな状況を知ってか知らずか昨日は、

相変わらずキクチさんは超能力者なんだか、

声を掛けてくださり、

渦の底からこうして循環して表層へ。

 

ほんとありがとうございます。
 
 
 

 

ってこの時間(深夜1:44w)、

お酒の渦に飲み込まれようとしているようにしか見えないけどw

 

 

 

 

 

今月は、まあまあ走っておりますよ。

 

 

 

 

 
ではまた明日。