仕事はじめ早々の火曜日にやらかして。
水曜日はやらかしが後を引き疲労困憊で走レズ。
近所のスーパー銭湯で交代浴で疲労抜き。
(走ってねーのに疲労困憊っていう)
木曜日は20時まで残業しつつも帰宅後走る!
と、鉄の意思を持って家路についたが、
飲んでないのになぜか赤羽まで行く帰宅エラー。
多少帰宅は遅れるが走るという鉄の意思は変わらない!
はずだったのだが、とある酒テロにみまわれ地元駅の居酒屋カウンターに吸い込まれる……。
しかし、明日もし自分が死んでしまうという万にひとつの可能性を考えると、今日この日飲まねば悔やみに悔やみきれない。
ので、無論後悔はない。
(「明日自分が死ぬ可能性」ってのは、毎日湧いているもんだということは措いといてw)
本日金曜日。
ちょいと残業だったけれども、昨日から打ちに打ち続けられた走るという鉄の意思は、今日になると鋼鉄の意思に変貌。
やった!
ついにやったよー!
本年初の平日ランだー(シロメ
たった10km。
こんなペースにもかかわらず、
終盤になると重い足。、
だいたい。
先月は飲んでばかりで100km程度しか走ってないし。
年が変わってからもほとんどまともに走っていない。
脚が弱りきっている。
これが現実。
と、理解しつつも。
こんなん自分じゃない。
ぜんぶまぼろし。
と思っている自分がいる。
だいたいにして、
自分の世界観ときたら、
オカルトなもんで。
人間が観測しているかどうかで動きを変えたりする不安定な玉っころから出来ていたりするし。
箱を開けるまで生きた状態と死んだ状態が重なりあった猫だって存在するかもしれないんだって。
上の二重スリット実験とシュレディンガーの猫は、最近になってエルトさんから教えられたやつだけれども。
似たようなことを割りと昔から思っていて、
自分っていう人間なんてのは、宇宙っていう違う次元で暮らすなんかしらの生物の身体を構成するための、銀河っていう細胞の、太陽系っていう粒子の一部になっている地球っていう分子の、癌の素なのだという。
そんな自己認識を、わりと真面目に持っている。
そんな世界観なもんだから、
今現在走れない自分はまぼろし!
2年前サブスリーした自分もまぼろし!
昨年飲みすぎて散財したのもまぼろし!
職場も趣味も両親も離婚もぜーんぶまぼろし!
死んだらチャラ!
こさらえた借金みたいなんもぜーんぶチャラ!
なんて頭で生きているもんだから、
とってもオプティミストなもんでいて。
しっかし、
本日10kmのジョグなんてので脚が終わった自分と向きあい、考えが変わり。
「たとえ、悪魔の証明的に検証のしようがない我の世界観が真実であったとしても、いま目の前にある"走れねえ"という事象は、少なくともこの次元においちゃ、現実であるのだ。」
少なくとも、
「走れねえ」という現実とは、
真摯に向き合う必要があるわと。
走るってのは、
きほん、妄想の中で生きている奴が、
現実と向き合って実感するっていう。
たいへん貴重な機会であるというのを、
再認識した、本年初の平日ランニング。
で、ございましたとさ!