前回レポからの続き
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ブロック閉鎖ギリギリの10分前に並んだスタート前、いよいよ被災地の道を走ります!
2014年春にランニングを始めて、真っ先に走りに行きたかった場所は東北の被災地でした。
そしてその夏の盆休みを利用して、走っちゃいました。
当時の写真、、
宮城の気仙沼から岩手の久慈まで、途中電車も使いつつ2日間で走行距離100km。
走りはじめて数ヶ月目の暴挙でしたので、このあと思いっきりチョーケイを痛めてしまって結局初フルとなる2015京都の直前まで引きずりました。
自分の実家は宮城の山側だったので震災による人的被害は結果的に一切無かったんですけど、それでも家族とは1週間音信不通だったので何も情報が入ってこない中で誰かしら死んでるだろうと覚悟したし、沿岸部の方が大変なのは分かっていたけど自分の家族、友人の安否がとにかく気掛かりで、本当に悲惨だった沿岸部にボランティアに行くわけでもなく、結局現地を見に行くまでに震災から3年半が掛かったわけです。
なぜ沿岸の被災地を走ったのか、2014年当時は自分でも良く分かっていませんでしたが、今思うと、津波の後に何が残ったのかを自分の目で確かめたかったのかな(野次馬根性ともいうw)。
そして自分の目で被災地を見てみたところ結局、
「何も残っていませんでした。」
津波は人が生活していた痕跡を全て押し流していました。
もちろん陸前高田市なんかはもの凄い人手を掛けて土地のかさ上げの最中で城塞みたいな町が出来つつあったけれども、まあまあ大きかったであろう街のかつての中心部には民家などはなく、土と重機がそれに代わっていました。
自分が良く海釣りに行った志津川の町(現南三陸町)なんかは町が丸ごと流されて、震災から3年が経った2014年当時でも新しい町が形成される気配が微塵もありませんでした。
(2017年現在は徐々に道が出来てきているみたいだけど、やはり人が住む気配はまだ感じられない)
自分は当初復興マラソンにエントリーするつもりは無かったんですが、なんか7月くらいに家で飲んでたらなんとなくポチってしまっていたw
酔っぱらいつつエントリーしたその動機は何だったのか!?
酔いから覚めてみてしばし考えることになったんですけど、「何もないあの風景」に少しでも人が生きているんだという痕跡を付けたい!
散々世話になった土地に、縁もゆかりもない遠方の方々が人が生きている印を沢山付けに来てくれるお祭りに、自分も参加しなきゃしょーがない!
酔っ払った頭でそんな事を考えていたのかもしれません。
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前置きが長くなりましたが肝心のレース中身!
スターターには楽天イーグルスの星野さんがサプライズで現れてどよめきが起きました☆
オンユアマークスの声の後にスタート!
1km~10km
スタートロスは33秒、スタートゲート通過後も渋滞が続き最初の1kmはペースが上がりません。
流れに逆らっても仕方ないのでそのまま進んでいると後ろから呼び掛けられました。
「ガンプくん!」
振り替えると夜の夢でご一緒したtakaさんでした!
スタート前のチーム東北の集合に遅れ、たまやんさんと二人でtakaさん会えないかな~??って話してたのでここで会えて嬉しかった!
今回のtakaさんのブログ、地元の僕だと全然観光とかしないから地味なレポになりがちですが、しっかり宮城を堪能してくださったみたい!
うんうん、復興マラソンはこういう楽しみ方もできるんだぞー!と読んでて嬉しかったです♪
10kmを過ぎて亘理大橋を渡っているときにまた「ガンプくん!」と前方から声が!
ハッピ姿ですぐ分かりました!個人的にお祭り大好き東北人の魂を象徴するブロガーさんだと思っています。
ゆ~さんとの初対面は橋の上!
ゆ~さんは国内トレイルの最高峰ハセツネCUPに参戦予定ですので、この日はハッピにかごを背負ってエイドの散らかったゴミを回収しつつのボランティアラン(°▽°)
ハセツネ……宮城県民的に支倉常長をイメージしますが違うと知ったのはココ最近のこと笑!
17kmを過ぎたあたりでサブ3ペースの維持が難しくなります。
というのも、ワセリン塗り忘れたせいか指にこんもり血豆ができちゃってました(^^;
ジリジリ上がる気温と相まって、サブ3ペースでは血豆により激痛を伴う着地…
残りの道中が地獄となる展開の始まり~~♪♪
前日のゴルフと同じ、ひたすら貯金を食い潰す展開でございます( ;∀;)
③につづく…