ふと思ったこと。
嘘は
ついては
いけない。
常識だけど
わたしと親の間には
本当も嘘も半々くらいはある。
実は私は
あまり嘘が
悪いことだと思っていない。
親からの抑制は
常識という名の正義で
ギュウギュウに詰め込まれたけど
結局
親になってみた今
私は自由なのに
昔の常識を羽織り
嘘をまとい
しれっと生きている。
子どもは
それを見抜いている。
嘘は
私にとっては
唯一の守りで
私の世界だ。
虚偽と平和の世界。
自分を荒ぶらなくてよい世界。
嘘や悪行が自分にとって
悪いものになるとするならば
わたしが信頼する大好きな人が
その行動を本気で悲しむ時だろうな。
と思っている。
親は小さい時から
子をなるたけ行動を見ながら
全てをわかっているように手綱を引いているが
子どもの心までは
手づかみでコントロールなどできない。
嘘はいけないものではない。
と私は思う。
目の前に
嘘が垣間見えた時は
初めは驚くけど
ちょっとしたチャンス。
目の前の人が
嘘をついたのは
嘘をつかせたのは
嘘に反応するわたしがいるから。
私の行動や考え方が
反応するから問題なのだ。
子どもが嘘の中に隠れた本音を
自ら出せなくなった時は
本人の問題になっていくんだろう。
ついた嘘が
苦しいか苦しくないかは本人の問題。
相手が苦しいか苦しくないかも
きっと本人の問題。
どんなに
嘘がいいことでない
悪いことだと
伝えたところで
結局は伝えた側の理想であり
伝えられた側の気持ちにそぐわなければ
理解しようもない。
むしろ
嘘の中の本音を出せない方が苦しい。
なぜそんなことをしたのか?とかいう前に
なぜそんなことさせるような状況を作ったのか?
って感じ。
そんなのいつも一緒なら
わかるでしょ?って感じ。
私の場合は
野放しにされてたので
親は私の気持ちなど
知ることもない。
今でも
嘘は私を守っている気がする。
私は
私の嘘の世界に感謝している。
そして
嘘に塗り固められた
嘘をつかせる世界が
いづれ壊れていくのを感じながら
嘘も本当も
共感できる世界を見てみたい。