ふと思ったこと。
私はあまり
お笑い番組を見ない。
おもしろさを感じないから。
ww
幼少期から親に見せられなかった。というのも理由に挙げられると思うが。
(なんなら、ドラえもんもちびまる子ちゃんも、苦手。ww)
自分に子どもが授かり、
私的には、
今は「笑点」くらいのお笑いは見れるようになったが、いわゆる
人を見下した様な、人を小馬鹿にしたものや、痛々しい小細工のものや、人の不幸は蜜の味的なものは、気分が悪くなる。
不快になる。
でも周りはそれが面白いのだ。
メディアが悪いのか、はたまた
私の問題か。
(でも、そうゆうので、オリンピックの開会式前に、ある人々は過去を取り沙汰されるニュースで辞退があったりしたし。)
とにかく私に不快なそれが
目に映る時は、
違う番組にしてもらう。
(家庭の中で母強しww)
子どもは
どこでツボにハマって笑うかはわからないが、大抵異様な笑いの時はただのノリだ。
(もちろん親も完璧ではないので、親にもそのノリ笑いはある。)
ふざけているのではなく、
ノリ。
幼少期は自分が目の前の出来事を把握するほど、思考回路は動いていない。
ただ、面白いだけなのだ。
思い出すのは
子どもが見ていたスポンジ○ブ。
ゲラゲラ笑っていた。
アメリカンテイストのノリが
わかりやすいらしかった。
(ワタシはさっぱりわからなかったww)
感情と思考は別ものだから、
それを一緒だと思うと、
人間そのものを否定してしまうことになる。
昨日の気になったブログではないけど、周りから感じる、ある困った出来事は、クローズアップしてしまうと、恐怖や不安にしかならない。
あぁ、この子は今、コレが笑える時期なんだなぁ。と、
親はただ感じて、その行動だけを「どうなんでしょうか?」と、その子を信じていい聞かすしかないのだろう。
それでも変化がないなら、
それはその子が生きる人生の断片に過ぎない。
親は自分が完璧でないからって
子どもを完璧に育てよう!
なんて思わない方がいい。
親がどんなに気を揉んで
心配したって
本人が体験して
恐怖を感じ、気をつけなければ
親にとっては
怖いことしか起こらないから。