びんかん=弱い
びんかん=すごい才能
びんかん=生きづらい
とか、意訳する必要もない。
不便だけど、不幸ではない。
不便だけど、弱くはない。
音に敏感だから、社会生活をする上で どう折り合いをつけ、まわりに何を要望するか、
淡々と考えればいい。
んで、一応 しつこく書いておくけど、知識が悪いわけじゃない。
それを どう解釈し、使うのかは、自分で選ばないとね、という話。
私も、はじめてHSPの概念を聞いた時は 心が震えたし、ゆるされた気がしたのは確か。
癒しとゆるしを十分に得たら、あとは 他人を理解するために使おう。
劣等感や優越感、連帯感や所属意識を ムダにくっつけないように。
「かわいそうな私」は いらない。
ふと 思ったこと。
鈍感な 暴力 もある。
びんかんな 暴力 もある。
なんでも
知識や情報を
間違って
使えば
自分が知らない間に
暴力になる。
そんな気がする。
相手の気持ちに 気付けるかなんて
自分の気持ちが 大事な時は
なかなか 気付けるものでは
ないだろう。
わたしは ○○の親だから とか
わたしは ○○だから とか
わたしは 弱い とか
わたしは 生き辛い とか
それが ウソ とか
それが 間違えている とか
それが おかしい とか
じゃなくて。
情報として
受け入れてもらえることは あっても
へ〜。だから?何?
と思う人もいれば
相手のかわいそうを
受け入れて
話を盛るように
さらに 共感して お互いを知らない間に
かわいそうな人に 仕立てる人もいる。
数年前は
限りなく後者だったが
今は限りなく
前者だなぁ。
かわいそうな人は
わたしの周りには
増やさないために。
わたしが私の為に
わたしの周りに
かわいそうという名の 暴力が
悲しみという名の 暴力が
溢れない為に。
わたしのなりの
知恵だ。
「かわいそうな私」は いらない。
和久田ミカさん
同じ気持ちを知れて
嬉しいです。
ありがとうございます。
