重さ、を出しながらも
重たい自分を否定しているとむしろ嫌われる。
面白かったので
リブログ
させて頂きます
m(_ _)m
読んでいて
ふと
思い出したこと
最近
神旦那さんと喋る時間があると
よく気付くことがある
あ、今、彼から
この言葉をわたしは言わせているな!
とか
あ、今、彼から
その言葉を言わせてもらったんだなぁ
とか
もちろん
何かを考えながらではなく
反射的に
思ったことを
口が勝手に喋っている
ことが多いww
いつも些細な言葉からだけど
勝手に何かを気付いてしまったり
勝手に何かを気付かせていたり(多分)
本来
言葉はコミュニケーションの道具
人の感情や知識や情報を知るためのツール
原始時代は言葉を持たなかった(はず?w)
それなら
その言葉に
わたしは傷付いたとか
嫌味を言われたとか
感情で返すのは
ナンセンスなのかもしれない
歳の差があるからとか
性に対する差別で
上下関係(モラル)を
自分が勝手に作ってしまうとか
個々の要領や頭の使い方の違いで
自分を勝手に卑下するとか
そういう
自分勝手な
固定観念が
だいぶ消失した気がする
そういえば昔より
あまり
言葉のやり取りで
わたしが勝手に
傷付かずになったのかもしれない
自分の重さは
人生の重さ
軽く見えても
ふわふわしてることがあっても
人はなんらかの使命のような重さを
しょいこみながら生きているんだろう
重いことは悪いことじゃない
重いことは悲しいことじゃない
軽い悪もある
軽い悲しみもある
重さに悪だと
軽さに良だと
勝手にレベル分けして
人と高低つけて
意味づけしているのも
なんだかナンセンスだなぁ
と思う
今日このごろ。