ブログを読ませて頂きながら
懐かしい記憶蘇る
息子あるあるだ
答えの出し方なんて
本当は問題じゃないのかもしれない
まぐれでもなんでも
親が理解出来るレベルでなくても
答えが間違えていなければよい
AI時代
答えはひとつだが
答えの出し方は未知数
だから人間を育てるのは
大変で面白いのだろう
息子が
周りから
自分(親)から見た日常の行動が
目立つ程変わっていようが
彼が保育園や小学校に通った頃は
この子の癇癪は大丈夫か?と
子の未来を不安に思う時期が
長かったように思うが
今や自分や旦那を超える
成績を持って帰る
前回の成績が思わしくなければ
自分で自分を理解して
チャレンジ意欲
好奇心は
親や姉よりある
すごい能力だ
(親も昔は好奇心の塊だった
かもしれないが)
将来の要らぬ心配をしているのは
少なからず自分なんだと
認めざるを得ない
中2で多感なお年頃
育ち方はともかく
気の合う友達も増え
自分の答えの出し方を気にせず
周りと比較せず
今まで通り
伸び伸び育って欲しいと
常に願う
彼を理解する人は
必ず近くにいるし
いた
自分もその一人
これからもそれは変わらないだろう
答えの出し方は
人それぞれ
それでいいと
つくづく思う