例えば、周りが経験しないであろう悲しい経験をして、そしてその傷が癒えているのに、人は傷つくふりをするのだろうか。
傷が癒えているのに、誰かの当たり前の言葉に、私にはそうではない、悲しいと思うことは正しいのだろうか。
旧友を亡くした人は、誰かが幼馴染と遊んでいるのを聞いて私にはできないのに、悲しい、と思っていいのだろうか。
その傷が癒えている、もしくは昇華できているにも関わらず。
開いていない傷を開いているふりをするのは、結局は自己愛でしかない。
悲劇を演じているだけで、はたからみたら喜劇だと思う。
そんなことを考えながら、私は誰かの当たり前じゃない経験を知りながらも、当たり前のことを発言する。
さぁ、どう?
癒えていないふりをするの?って。
その傷を、悲劇の題材にするのはとても罪深いと思う。
誰のために傷ついているのか、人はちゃんと理解する必要がある。
言い掛かりはよして。
それはあなたの台本でしょう?
私もちゃんと省みないと。
その傷は、誰のためにあるのか。
少なくとも、自分のためではない。
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