「ところで、ミズ・ソウルって一体何者?!」ってタイトルで
チョケ気味に自分のことを少し書いておりましたが
読み返してみると惨憺たるもので・・・^^;
もう少し自分のことを丁寧に語ってみることに致しました。
経歴を小出しにしながら語っていきますね^^
【ミズ・ソウルの生業。Vol.1】
年齢包み隠さず^^;
1968夏 京都生まれ
京都府立久御山高等学校時代
少女マンガ家を目指すのを封印 美術部に所属
京都府美展賞2回
ちょっとだけタロットカードを触り一旦封印
1991春 京都精華大学マンガ専攻卒業
京都精華大学マンガ専攻
今はマンガ学部かな
私は茨城県出身の仏教漫画家
佐川美代太郎教授に学びました。
この方のことを中学時代から知っていて
(新聞記事か何かで知った)
この方に学ぶことを目指して受験したんですよ!
なかなかすごいですよね^^;
私が何とかめでたく入学し
19歳の時65歳だったかな
彼はもうものすごくバイタリティの塊の男前で
道徳に厳しい恐いミドルでしたね。
でも信じてついていってました^^
先日
茨城県ひたちなか市のオアシス サザコーヒーの
ギャラリーSAZAで開催された
大人の女子校主催 女性アーティストグループ展 Across Japanに
参加させていただきました。
今から思えば
佐川先生が呼んでくれたのかなぁ・・・
天国で見ててくれたかなぁ・・・*^^*
そのマンガ専攻佐川美代太郎教授のゼミで
少女マンガに毒されていた芸術観を叩き直され
ピカソやマティス等の造形にも触れ
棟方志功やビアズリーなどの
アールヌーヴォー・アールデコにあるジャポニズム等も知り
自分のアート趣向の原点に気付いていくことになりました。
で
先輩達に続いて
広告の会社に行くのかなと思いきや
第二次面接で後にも先にもあのときこっきりの貧血でぶっ倒れて不採用。
そんな私が導かれたのは
TASAKI神戸デザイン室。
熱い佐川先生が
私達のために大学の就職課から
大量の求人募集のコピーをドッサリテーブルに置いてくれました。
その中にTASAKIデザイン室の募集もあったのです。
実は
幼少から装身具はとても興味がありました。
装身具というよりは輝くクリスタルや宝石かな。
子供の頃は
ジュエリーとアクセサリーの違いまでは
正確に把握してはいませんでしたが
大学三回生の時
山勝真珠の京都店で、美大生向けの
ジュエリーコンテスト(一日スタッフアルバイト付き)
という不思議なアルバイトがあったのです。
これをどうやって見つけたのかはもう覚えていないのですが
多分たまたまお店の前を通ってポスターで知ったのかなぁ
デザインできないくせに無理矢理応募しました。
その頃動物園に連日通ってクロッキー描いていた
アカカンガルーをモチーフに
目をマーキースカットにしたエメラルドをつけて
(マーキースカットなんて知らずに無意識で描いていた)
真珠を数粒あしらって描いたかな。
一日だけ宝石店のスタッフをしながら
その場で描いて提出して帰りました。
不思議なアルバイトだったなぁ
その後日入選いたしました!
上から4番目だったかな^^嬉しかったです!
そのことがあったから
TASAKI受験は全く抵抗なかった。
1991春 TASAKI神戸デザイン室入社
同期は皆広告の会社に行ったので
ちょっと疎外感も感じながら
神戸TASAKIの御影寮へ。
新しい環境で・・・
苦労しました。
初ものにめっぽう弱いわたしは
人間関係もいちから構築
おしゃれで慣れない環境に
ストレスニキビが
顔から頭皮から背中から全身に出来て
同期の男子に気持ち悪い寄るなと
本気で毛嫌いされ仲間外れにされ
なかなか惨めな新入社員時代でした。
でも それでもそれから
色んな人に出会い
数多くの貴重な経験を積ませていただきました。
続く
読んでくださりありがとうございます✨✨
Ms.Soul